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坂井 千明

坂井 千明(さかいちあき、1951年2月14日 - )は、元騎手(日本中央競馬会(JRA)所属)。現在は競馬評論家。

1970年に騎手免許を取得し、同年3月1日に初騎乗。2004年9月30日に引退するまで通算9864戦688勝、重賞11勝の成績をあげた。

騎手引退後は競馬評論家として活動するかたわら、若手騎手の勉強会、通称「千明塾」を主宰し、騎乗のポイントから営業の方法まで、幅広い指導を行っている。同塾の門下生として指導を受けた松岡正海、吉田隼人、石橋脩、津村明秀などが頭角を現してきており、その指導ぶりには定評がある。


◆著書
「坂井千明のコースの達人―JRA本部関係者や現役騎手も真実を語った」(2005年 メディアプロダクション)

2006年12月20日 トラックバック(-) コメント(-)

境 勝太郎

境 勝太郎(さかいかつたろう、1920年3月6日 - )は、元騎手(札幌競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会(JRA))、元調教師(日本中央競馬会)。現在は競馬評論家。北海道出身。


◆経歴

北海道・倶知安競馬場で競馬の競走を観たのをきっかけに騎手を志す。 1935年、札幌競馬場の清水茂次厩舎で見習騎手となり、1936年、同競馬場の川崎敬次郎厩舎で騎手となる。騎手時代は星川泉士厩舎・久保田金造厩舎・二本柳俊夫厩舎など合計10もの厩舎に移籍を繰りかえしつつ、1944年の農商省賞典(皐月賞)(クリヤマト)、1950年の桜花賞(トサミツル)、1953年の天皇賞(秋)(クインナルビー)などに優勝した。ちなみにクインナルビーは後に怪物と称される名馬オグリキャップの五代前の母で、境自身オグリキャップの活躍にクインナルビーを思い出して内心喜び、「良い牝系は必ず後に名馬を産み出す」と語っている(オグリキャップは牝系以外は決して良血と言える血統ではないため)。

1966年、調教師免許を取得し白井にある中山競馬場の分場で厩舎を開業。当時は2400mの追い切りをかけるのが一般的な競走馬の調教手法であったが、白井の調教コースは1周1400mしかなかっため、1000mの追い切りをかける手法を採りいれ、美浦トレーニングセンター開設後もそのスタイルを貫いた。

1973年にスプリンターズステークスをキョウエイグリーンで制し重賞初制覇。1970年代後半以降は「サクラ」の冠名で知られるさくらコマース所有の競走馬によって数々の重賞・GIに優勝した。JRAが調教師の70歳定年制を導入したことに伴い、1997年2月28日、晩年の最高傑作・サクラローレルによる前年の有馬記念優勝を置き土産に調教師を引退した。

馬の蹄及び蹄鉄を重要視しており、「自分の見ていないところでは絶対に削蹄させなかった。どこを何ミリ削るかが成績や故障の原因になる」と著書で述べている。また、サクラローレルが海外遠征で故障した際も「故障の原因の一つは日本から装蹄師を同行させなかったことにある」旨のコメントをしている。

騎手時代には牝馬で勝利を収めることが多かったが、なぜか調教師になってからは逆に牝馬の成績が牡馬に比べて低かった。

人物的には強気の性格の持ち主として知られ、騎手時代から競馬マスコミの前で強気のコメントを連発することが多く、「境ラッパ」の異名をとった。また直言家でもあり、管理馬の騎乗を巡って、小島太や横山典弘といった厩舎の主戦騎手をマスコミの前で批判することも多かった。現在もスポーツニッポン紙上にて、「美浦の黄門様」として歯に衣着せぬ競馬評論を行っている。


◆成績

☆騎手成績

★主な勝ち鞍

皐月賞(1944年クリヤマト)
桜花賞(1950年トサミツル)
天皇賞(秋)(1953年クインナルビー)


☆調教師成績

通算成績5202戦656勝、重賞53勝

★主な勝ち鞍

天皇賞(春)(1996年サクラローレル)
天皇賞(秋)(1979年スリージャイアンツ、1986年サクラユタカオー、1995年サクラチトセオー)
東京優駿(日本ダービー)(1988年サクラチヨノオー)
有馬記念(1996年サクラローレル)
エリザベス女王杯(1995年サクラキャンドル)
スプリンターズステークス(1993年サクラバクシンオー、1994年サクラバクシンオー)
朝日杯3歳ステークス(1987年サクラチヨノオー、1988年サクラホクトオー)

★受賞

優秀調教師賞(関東)(1986年)
調教技術賞(関東)(1971年、1973年、1975年、1978年、1980年)
重賞獲得調教師賞(1986年)
東京記者クラブ賞(1996年)
スポーツ功労者 文部科学大臣顕彰(1995年度)

2006年12月19日 トラックバック(-) コメント(-)

岡部 幸雄

岡部 幸雄(おかべ ゆきお、1948年10月31日-)は日本中央競馬会の元騎手。美浦所属のフリー騎手(どこの厩舎にも所属しない騎手)であった。群馬県太田市出身、血液型はA型。幾多の記録を塗り替え、クラシック三冠馬シンボリルドルフをはじめ数々の名馬の手綱を取った事で知られる。ファンの間で名手と称された。また、トレセンでの通り名は「ジョッキー」。タレントの岡部玲子とは親戚関係にある。


◆来歴

岡部は1967年に騎手免許を取得。同期に柴田政人(現調教師)、福永洋一(引退)、伊藤正徳(現調教師)などがおり「花の15期生」と呼ばれる。当初は鈴木清厩舎所属であったが、袂を別ってフリーになる。(以後、鈴木清厩舎の馬には騎乗していない。)若い頃から海外競馬に興味を持ち単身アメリカなどに出向き武者修行、そこで触れた欧米の競馬文化に多大な影響を受ける。米国・デルマー競馬場において、日本人騎手初勝利という歴史的快挙を達成、さらには海外のダービー(マカオダービー)を勝っている唯一の騎手でもある。1998年にタイキシャトルに騎乗しフランスのジャック・ル・マロワ賞を勝ったときには、悲願であった国際GI制覇を成し遂げた喜びから感極まる場面も。

馬の事を第一に考えた「馬優先主義」をポリシーに掲げ、早くからこれを実践していたが、当時の日本では岡部の主張は受け入れられる事はほとんどなかった。非常識とされていたことを数々覆し今日の競馬社会に多大な影響を与えた。日本における現代競馬の父とも呼ぶべきオピニオンリーダーであった。

また、騎乗技術の高さには定評があり、特に距離を変えてしまう(ような)騎乗が有名である。レオダーバンの菊花賞では距離を持たせるために3000mのレースで2000mの騎乗、シンボリルドルフの新馬戦ではレースを覚えさせるために1000mのレースを1600mの騎乗でレースに勝ったことは伝説となっている。

一見紳士ではあるが、怒らせると怖いタイプで、若い頃には危険な騎乗をした騎手を、レース後に騎乗したまま殴るなど今では信じられない伝説も持っている。例として、1984年2月18日の東京競馬第8競走で、岡部はクインテシオに騎乗していたが、向こう正面で杉浦宏昭(現・調教師)騎乗のスイートボルドーが斜行し、その行為に激高して岡部はとっさに杉浦を殴りつけてしまった。それによって実効2日間の騎乗停止をくらい、反省のため頭を丸めたという。

2002年12月の有馬記念での騎乗を最後に、オーバーホールのため休養に入る。膝の状態がかなり深刻であったため翌年4月には膝を手術。長いリハビリを終え2004年1月25日に復帰。同日中山競馬第9競走の若竹賞で、後に桜花賞を勝つダンスインザムードに騎乗し1着となった。生涯現役を目指し、夢の通算3000勝も見えてきた矢先ではあったが、体が思うように動かないことを理由に2005年2月20日以降騎乗を自粛。そして3月10日に38年間におよぶ騎手生活からの引退を明らかにした。これに伴って、2005年3月20日に当初予定されていた「東風ステークス」は「岡部幸雄騎手引退記念競走」(岡部本人は騎乗せず、優勝馬の関係者らに対する賞品のプレゼンターとして表彰式に出席)に変更され、引退式が中山競馬場で開かれた(この時、後輩騎手である横山典弘らの提案で、岡部を神輿に乗せ、騎手一同で担いでパドックを周回した)。特定騎手の業績を称えた競走の開催は地方競馬(佐々木竹見)での例があるが、中央競馬では稀。

引退後は、調教師や競馬学校教官等のJRA関係職には就かず、フリーの評論家的活動を行っている。なお、2006年10月からはJRAと「アドバイザリー契約」を締結し、審判業務に対する意見や助言、若手騎手に対する技術指導をすることとなった。また、トークショー等にも積極的に参加している。現役時代の印象とは裏腹に陽気なオジサンぶりを発揮している。2006年10月からはアサヒ飲料のコーヒー「WONDA」の「Gワンダレースキャンペーン」のCMに出演。

ディープインパクトとシンボリルドルフの比較を聞かれ、「ルドルフのほうが強い」と即答している。しかし、自ら「ディープのオッカケ」と言うほどディープインパクトのファンでもある。2006年10月1日には、ディープインパクトの出走する凱旋門賞の解説者としてNHKに出演。最後の直線では実況に混ざり「まだまだっ(まだ仕掛けるな、という意)」「大丈夫」「頑張れ!」などと発言した。これら、プロフェッショナルの視点からの感情のこもった発言は、多くの競馬ファンの間で好評を博した。

中央競馬の通算成績は18646戦2943勝(2006年現在史上最多)。


◆受賞

騎手大賞(1987年、1991年)
優秀騎手賞(1969年、1970年 - 1972年、1975年~1981年、1983年、1985年~2002年)
フェアプレー賞(1985年、1986年、1990年、1994年、1996年、1998年、2000年、2002年、2004年)
東京競馬記者クラブ賞(1987年)
日本プロスポーツ大賞
功労賞(1988年、1996年)
特別賞(1993年)
スポーツ功労者 文部科学大臣顕彰(2006年)


◆成績(JRA)

通算成績 1着 2着 3着 4着以下 騎乗回数 勝率 連対率
平地 2928 2437 2192 11027 18584 .158 .289
障害 15 9 5 33 62 .242 .387
計 2943 2446 2197 11060 18646 .158 .289

通算GI(級)39勝
通算重賞165勝
天皇賞を4つの競馬場で制したという珍記録を持っている(1978年春(京都競馬場で開催)にグリーングラスで制したのを皮切りに、1990年秋(東京競馬場で開催)にヤエノムテキで、1994年春(阪神競馬場で開催)にビワハヤヒデで、2002年秋(中山競馬場で開催)にシンボリクリスエスで制している)。
シンボリクリスエスの天皇賞は54歳2ヶ月での勝利で最高年齢GI勝利となっている。
長距離戦に強く、ダイヤモンドステークス(岡部勝利時、3200m)、ステイヤーズステークス(3600m)をともに7勝。GIにおいても菊花賞(3000m)を3勝、天皇賞(春)(3200m)を4勝しており、「長距離の岡部」と称されていた(長距離戦は騎手の技量の要素が短距離戦に比べて大きいとされるのが一般的である)。
桜花賞を勝てば八大競走完全制覇であったが、勝利する事はできなかった。
一流騎手でも体力面から40代半ばには引退する例が多いが、岡部は40歳以降にGIレースを23勝している。40代、50代になっても最前線で活躍した姿から、現役晩年は「鉄人」「生涯現役騎手」等の肩書きが多く見られた。


◆海外・地方成績

海外通算133戦13勝。1972年にアメリカ・デルマー競馬場で海外初騎乗。
主な勝ち鞍:ジャック・ル・マロワ賞(タイキシャトル)、マカオダービー(メディパル)など。
地方通算136戦25勝。
主な勝ち鞍:ブリーダーズゴールドカップ(ウイングアロー)、ダイオライト記念(デュークグランプリ)など。


◆代表騎乗馬

グリーングラス:TTGの1頭で、天皇賞(春)は岡部騎乗で勝利
ダイナカール:エアグルーヴの母で5頭並びの優駿牝馬(オークス)を勝利
シンボリルドルフ:史上初の無敗によるクラシック三冠馬。東京優駿(日本ダービー)では「競馬を教えられた」と言わしめる
レオダーバン:菊花賞を2000mのレースに持ち込むという美技で勝利
トウカイテイオー:4歳時の主戦騎手でジャパンカップを親子制覇
シンコウラブリイ:藤沢和雄厩舎初のGI馬でマイルチャンピオンシップを制覇
ビワハヤヒデ:岡部に乗り替わってからGI3勝
ジェニュイン:GI勝ちはすべて岡部騎乗時
バブルガムフェロー:2歳時と古馬時に主戦(天皇賞は蛯名正義が騎乗して勝った)
タイキシャトル:仏GI勝利でマイラーとしては初の年度代表馬
シンボリクリスエス:岡部にとって最後のGI勝利となった天皇賞(秋)のパートナー


◆著書

「馬・優先主義」:現役時代よりサンケイスポーツ紙・週刊Gallopに、現役を引退した現在も連載しているエッセイ。現在まで5巻出ている。主に競馬に関する評論。
「ルドルフの背」(池田書店)
「勝つための条件」(ブックマン社)
「チャンピオンのステッキ」(コミュニケーションハウス社)
「チャンピオンの密かなる愉しみ」(コミュニケーションハウス社)
「僕の競馬 僕の勝負」(大陸書房)
「勝つ為の条件-名手岡部 飛翔の蹄跡-」(日本文芸社)

2006年12月18日 トラックバック(-) コメント(-)

大崎 昭一

大崎 昭一(おおさき しょういち、1945年1月15日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の元騎手で、現在は競馬評論家。宮崎県出身。

記者の質問には弱気のコメントをすることが多く、「泣きの昭ちゃん」といわれたが、レースでは厳しく大胆な騎乗ぶりで東京優駿(日本ダービー)、有馬記念をそれぞれ2勝するなど名手として活躍したが、たび重なる落馬事故により満身創痍であった。そのため競馬ファンの間では「怪我さえなければ1000勝は確実にできていた」といわれている。1999年引退。中央競馬通算970勝。


◆来歴

 ・1963年 柴田寛厩舎所属騎手としてデビュー。同期に安田伊佐夫など。
       障害では、この年1度目の中山大障害を制していたフジノオーに騎乗し2勝を挙げている。
 ・1964年 36勝をマーク。
 ・1965年 目黒記念(春)をブルタカチホで制し重賞初勝利。
       「稀代のクセ馬」カブトシローでカブトヤマ記念を勝ち重賞2勝目。
 ・1966年 調教中の落馬で馬の下敷きとなり、骨盤を7ヶ所骨折。
 ・1967年 カブトシローで有馬記念を制し、GI級レース初勝利。
 ・1968年 中央競馬(以下同様)通算100勝達成。
 ・1969年 ダイシンボルガードで東京優駿(日本ダービー)を制覇、レース後ファンに胴上げされる。
       24歳での勝利は戦後の最年少ダービージョッキー記録であった(当時)。
 ・1973年 福島競馬で外ラチに激突し落馬、胸部挫創および腰椎第一第二右横突起を骨折。
 ・1975年 フジノパーシアで天皇賞(秋)制覇。
 ・1976年 フジノパーシアで宝塚記念に勝利し、
       同馬でローレルパーク競馬場のワシントンD.C.インターナショナルへ遠征(6着)。
       通算300勝。
 ・1977年 府中競馬で落馬し、左第七~十一肋骨骨折、右下腿筋挫創の大怪我。1年2ヶ月休養。
 ・1978年 中山競馬で落馬、右大腿骨を骨折。治療ミスで骨が割れ1年近く休養。
 ・1979年 グリーングラスの引退レースに騎乗し、2度目の有馬記念制覇。
 ・1980年 福島競馬で落馬、再度の右大腿骨骨折。
 ・1981年 16番人気のカツトップエースで皐月賞を逃げ切り勝ち。
       東京優駿(日本ダービー)も同馬でサンエイソロンの猛追をハナ差しのぎ、
       ダービー2勝目を挙げる。フリーとなる。
 ・1982年 通算500勝。
 ・1985年 新潟競馬の本馬場入場で柵ごしにファンと言葉を交わした行為が公正競馬を害するされ、
       4ヵ月間の騎乗停止処分を受ける(新潟事件)。
 ・1987年 通算700勝。
 ・1991年 布施正調教師の誘いを受け小倉に遠征、以後関西での騎乗が中心となる。
 ・1992年 管理する橋口弘次郎調教師に出走を強く薦め、
       11番人気のレッツゴーターキンで天皇賞(秋)を制覇。
 ・1994年 通算900勝。
 ・1998年 中京競馬での落馬事故による後遺症から慢性硬膜下血腫を発症、頭部手術を受ける。
 ・1999年 復帰に向けリハビリを続けていたが、網膜色素変成症を発症し現役続行を断念。


◆騎手通算成績(中央競馬)

通算成績 1着 2着 3着 4着以下 騎乗回数 勝率 連対率
平地 962 898 901 6086 8847 .109 .210
障害 8 4 7 18 37 .216 .324
計 970 902 908 6104 8884 .109 .211

重賞通算36勝

2006年12月17日 トラックバック(-) コメント(-)

石川 喬司

石川 喬司(いしかわ たかし 1930年9月17日 - )は愛媛県出身の作家、評論家。

愛媛県四国中央市出身。1953年、東京大学文学部仏文学科卒業。同年、毎日新聞社に入社。新聞記者生活の傍ら文筆生活に入る。1963年3月5日、星新一や小松左京たち10人と共に日本SF作家クラブを設立。

出版局編集次長を経て、1971年に毎日新聞社を退社。1978年、『SFの時代』により日本推理作家協会賞受賞。SF作家としての代表作に、自らの悲惨な戦争体験に基づく『魔法つかいの夏』がある。1979年には東京大学にて「文学と時間」と題する講義をおこない、日本の大学における最初のSF講座として話題を呼んだ。

競馬にも造詣が深く、競馬評論家としても知られる。当人は馬家(ばか)を自称。

日本推理作家協会常任理事。日本文芸家協会、日本ペンクラブ、日本SF作家クラブ、アジア・アフリカ作家会議の各会員。競馬国際交流協会評議員。日本SF大賞、江戸川乱歩賞、横溝正史賞などの選考委員。日本SF評論賞選考委員長。

2006年12月16日 トラックバック(-) コメント(-)

アンドリュー・ベイヤー

アンドリュー・ベイヤー(Andrew Beyer)は、アメリカ合衆国の競馬評論家。ハーバード大学卒業。スピード指数の一種であるベイヤー指数(Beyer Speed Figure)を考案したことで知られている。

1960年代後半から競馬記者としての活動を開始。1970年代に競走馬の走破タイムなどを元にしたベイヤー指数を考案。1992年からはアメリカで最大のシェアを占める競馬新聞のデイリー・レーシング・フォームにその指数が掲載されている。スピード指数を用いる予想方法は日本にも多大な影響を与えており独自の指数も多数発表されている。また競馬に関するコラムニストとしての一面も持ち合わせておりワシントン・ポストでコラムを執筆しているほか、著書は日本でも訳されて出版されている。


◆主な著書

 ・勝ち馬を探せ!! (1990年・ISBN 4-89595-011-5)山本尊 訳
 ・ウイニング・ホースプレイヤー (1992年・ISBN 4-426-54710-5)山本尊 訳
 ・勝ち馬を探せ! 改訂保存版 (1994年・ISBN 4-89595-083-2)山本尊 訳
 ・競馬探究の先端モード (1995年・ISBN 4-426-55003-3)山本尊 訳
 ・マイオールドケンタッキーホーム (2000年・ISBN 4-426-76006-2)山本尊 訳
 ・アメリカ競馬戦略9つの頂点 (2005年・ISBN 4-426-76302-9)複数名との共著、平尾圭吾 訳
※題名・出版年・ISBNは日本版のもの

2006年12月15日 トラックバック(-) コメント(-)

東 信二

東 信二(あずましんじ、1951年11月24日 - )は、かつて日本中央競馬会(JRA)に所属していた元騎手で、現在は競馬評論家である。

中央競馬での通算成績: 5293戦512勝 中央重賞勝利は21勝


◆主な勝鞍

 ・1973年 スプリンターズステークス(キョウエイグリーン)
 ・1974年 安田記念(キョウエイグリーン)
 ・1981年 有馬記念(アンバーシャダイ)
 ・1987年 皐月賞、菊花賞(サクラスターオー)など

◆現在は、フジテレビのスーパー競馬の解説者(GI開催時出演の準レギュラー)

◆アンバーシャダイで有馬記念を制した時は、それまで騎乗していた加藤和宏がホウヨウボーイに騎乗するため、サクラスターオーも本来なら小島太が騎乗する筈だったが、小島と全オーナーとの対立で一時期「サクラ」が付く馬は東が騎乗していた。

2006年12月14日 トラックバック(-) コメント(-)

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