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岡部 幸雄

岡部 幸雄(おかべ ゆきお、1948年10月31日-)は日本中央競馬会の元騎手。美浦所属のフリー騎手(どこの厩舎にも所属しない騎手)であった。群馬県太田市出身、血液型はA型。幾多の記録を塗り替え、クラシック三冠馬シンボリルドルフをはじめ数々の名馬の手綱を取った事で知られる。ファンの間で名手と称された。また、トレセンでの通り名は「ジョッキー」。タレントの岡部玲子とは親戚関係にある。


◆来歴

岡部は1967年に騎手免許を取得。同期に柴田政人(現調教師)、福永洋一(引退)、伊藤正徳(現調教師)などがおり「花の15期生」と呼ばれる。当初は鈴木清厩舎所属であったが、袂を別ってフリーになる。(以後、鈴木清厩舎の馬には騎乗していない。)若い頃から海外競馬に興味を持ち単身アメリカなどに出向き武者修行、そこで触れた欧米の競馬文化に多大な影響を受ける。米国・デルマー競馬場において、日本人騎手初勝利という歴史的快挙を達成、さらには海外のダービー(マカオダービー)を勝っている唯一の騎手でもある。1998年にタイキシャトルに騎乗しフランスのジャック・ル・マロワ賞を勝ったときには、悲願であった国際GI制覇を成し遂げた喜びから感極まる場面も。

馬の事を第一に考えた「馬優先主義」をポリシーに掲げ、早くからこれを実践していたが、当時の日本では岡部の主張は受け入れられる事はほとんどなかった。非常識とされていたことを数々覆し今日の競馬社会に多大な影響を与えた。日本における現代競馬の父とも呼ぶべきオピニオンリーダーであった。

また、騎乗技術の高さには定評があり、特に距離を変えてしまう(ような)騎乗が有名である。レオダーバンの菊花賞では距離を持たせるために3000mのレースで2000mの騎乗、シンボリルドルフの新馬戦ではレースを覚えさせるために1000mのレースを1600mの騎乗でレースに勝ったことは伝説となっている。

一見紳士ではあるが、怒らせると怖いタイプで、若い頃には危険な騎乗をした騎手を、レース後に騎乗したまま殴るなど今では信じられない伝説も持っている。例として、1984年2月18日の東京競馬第8競走で、岡部はクインテシオに騎乗していたが、向こう正面で杉浦宏昭(現・調教師)騎乗のスイートボルドーが斜行し、その行為に激高して岡部はとっさに杉浦を殴りつけてしまった。それによって実効2日間の騎乗停止をくらい、反省のため頭を丸めたという。

2002年12月の有馬記念での騎乗を最後に、オーバーホールのため休養に入る。膝の状態がかなり深刻であったため翌年4月には膝を手術。長いリハビリを終え2004年1月25日に復帰。同日中山競馬第9競走の若竹賞で、後に桜花賞を勝つダンスインザムードに騎乗し1着となった。生涯現役を目指し、夢の通算3000勝も見えてきた矢先ではあったが、体が思うように動かないことを理由に2005年2月20日以降騎乗を自粛。そして3月10日に38年間におよぶ騎手生活からの引退を明らかにした。これに伴って、2005年3月20日に当初予定されていた「東風ステークス」は「岡部幸雄騎手引退記念競走」(岡部本人は騎乗せず、優勝馬の関係者らに対する賞品のプレゼンターとして表彰式に出席)に変更され、引退式が中山競馬場で開かれた(この時、後輩騎手である横山典弘らの提案で、岡部を神輿に乗せ、騎手一同で担いでパドックを周回した)。特定騎手の業績を称えた競走の開催は地方競馬(佐々木竹見)での例があるが、中央競馬では稀。

引退後は、調教師や競馬学校教官等のJRA関係職には就かず、フリーの評論家的活動を行っている。なお、2006年10月からはJRAと「アドバイザリー契約」を締結し、審判業務に対する意見や助言、若手騎手に対する技術指導をすることとなった。また、トークショー等にも積極的に参加している。現役時代の印象とは裏腹に陽気なオジサンぶりを発揮している。2006年10月からはアサヒ飲料のコーヒー「WONDA」の「Gワンダレースキャンペーン」のCMに出演。

ディープインパクトとシンボリルドルフの比較を聞かれ、「ルドルフのほうが強い」と即答している。しかし、自ら「ディープのオッカケ」と言うほどディープインパクトのファンでもある。2006年10月1日には、ディープインパクトの出走する凱旋門賞の解説者としてNHKに出演。最後の直線では実況に混ざり「まだまだっ(まだ仕掛けるな、という意)」「大丈夫」「頑張れ!」などと発言した。これら、プロフェッショナルの視点からの感情のこもった発言は、多くの競馬ファンの間で好評を博した。

中央競馬の通算成績は18646戦2943勝(2006年現在史上最多)。


◆受賞

騎手大賞(1987年、1991年)
優秀騎手賞(1969年、1970年 - 1972年、1975年~1981年、1983年、1985年~2002年)
フェアプレー賞(1985年、1986年、1990年、1994年、1996年、1998年、2000年、2002年、2004年)
東京競馬記者クラブ賞(1987年)
日本プロスポーツ大賞
功労賞(1988年、1996年)
特別賞(1993年)
スポーツ功労者 文部科学大臣顕彰(2006年)


◆成績(JRA)

通算成績 1着 2着 3着 4着以下 騎乗回数 勝率 連対率
平地 2928 2437 2192 11027 18584 .158 .289
障害 15 9 5 33 62 .242 .387
計 2943 2446 2197 11060 18646 .158 .289

通算GI(級)39勝
通算重賞165勝
天皇賞を4つの競馬場で制したという珍記録を持っている(1978年春(京都競馬場で開催)にグリーングラスで制したのを皮切りに、1990年秋(東京競馬場で開催)にヤエノムテキで、1994年春(阪神競馬場で開催)にビワハヤヒデで、2002年秋(中山競馬場で開催)にシンボリクリスエスで制している)。
シンボリクリスエスの天皇賞は54歳2ヶ月での勝利で最高年齢GI勝利となっている。
長距離戦に強く、ダイヤモンドステークス(岡部勝利時、3200m)、ステイヤーズステークス(3600m)をともに7勝。GIにおいても菊花賞(3000m)を3勝、天皇賞(春)(3200m)を4勝しており、「長距離の岡部」と称されていた(長距離戦は騎手の技量の要素が短距離戦に比べて大きいとされるのが一般的である)。
桜花賞を勝てば八大競走完全制覇であったが、勝利する事はできなかった。
一流騎手でも体力面から40代半ばには引退する例が多いが、岡部は40歳以降にGIレースを23勝している。40代、50代になっても最前線で活躍した姿から、現役晩年は「鉄人」「生涯現役騎手」等の肩書きが多く見られた。


◆海外・地方成績

海外通算133戦13勝。1972年にアメリカ・デルマー競馬場で海外初騎乗。
主な勝ち鞍:ジャック・ル・マロワ賞(タイキシャトル)、マカオダービー(メディパル)など。
地方通算136戦25勝。
主な勝ち鞍:ブリーダーズゴールドカップ(ウイングアロー)、ダイオライト記念(デュークグランプリ)など。


◆代表騎乗馬

グリーングラス:TTGの1頭で、天皇賞(春)は岡部騎乗で勝利
ダイナカール:エアグルーヴの母で5頭並びの優駿牝馬(オークス)を勝利
シンボリルドルフ:史上初の無敗によるクラシック三冠馬。東京優駿(日本ダービー)では「競馬を教えられた」と言わしめる
レオダーバン:菊花賞を2000mのレースに持ち込むという美技で勝利
トウカイテイオー:4歳時の主戦騎手でジャパンカップを親子制覇
シンコウラブリイ:藤沢和雄厩舎初のGI馬でマイルチャンピオンシップを制覇
ビワハヤヒデ:岡部に乗り替わってからGI3勝
ジェニュイン:GI勝ちはすべて岡部騎乗時
バブルガムフェロー:2歳時と古馬時に主戦(天皇賞は蛯名正義が騎乗して勝った)
タイキシャトル:仏GI勝利でマイラーとしては初の年度代表馬
シンボリクリスエス:岡部にとって最後のGI勝利となった天皇賞(秋)のパートナー


◆著書

「馬・優先主義」:現役時代よりサンケイスポーツ紙・週刊Gallopに、現役を引退した現在も連載しているエッセイ。現在まで5巻出ている。主に競馬に関する評論。
「ルドルフの背」(池田書店)
「勝つための条件」(ブックマン社)
「チャンピオンのステッキ」(コミュニケーションハウス社)
「チャンピオンの密かなる愉しみ」(コミュニケーションハウス社)
「僕の競馬 僕の勝負」(大陸書房)
「勝つ為の条件-名手岡部 飛翔の蹄跡-」(日本文芸社)
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2007年01月01日 トラックバック(-) コメント(-)

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