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大久保 房松

大久保 房松(おおくぼふさまつ、1897年11月6日 - 1997年8月29日)は、元騎手(東京競馬倶楽部、日本競馬会)、元調教師(東京競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会(JRA))。青森県八戸市出身。北海道湯の川尋常高等小学校尋常科卒業。1979年、黄綬褒章を受章。子の大久保勝之はJRA調教師。


第二回東京優駿大競走
1位入選が大久保房松とカブトヤマ目次 [非表示]
1 経歴
2 成績
2.1 騎手成績
2.1.1 主な勝ち鞍
2.2 調教師成績
2.2.1 主な勝ち鞍
2.2.2 受賞
3 門下生



[編集] 経歴
父親が失業したため、少年時代から牧場で働き家計を支える。牧場の馬に乗ってしばしば函館競馬場の敷地内に入り込んでいたところを函館大次(函館大経の弟子)に見出される。1912年5月に弟子入り。同年9月、騎手免許を取得。1922年、騎手兼調教師となる。

1933年、第2回東京優駿大競走(日本ダービー)に管理馬カブトヤマが出走。当初は自ら騎乗する予定であったが体調を崩したため、馬主に騎手交代を申し入れた。すると馬主は「僕は君のためにこの馬を預けた。もしダービーを勝っても騎手が君じゃなかったらあまり嬉しくはないだろう。」と返した。大久保は馬主の心意気に応えるために騎乗を決意。高熱で朦朧としながら見事優勝した。

太平洋戦争中に競馬開催は一時中止となり、国営競馬として再開された1946年に改めて調教師免許を取得。90歳を過ぎても調教師を続け、1989年3月に調教師を引退。これはJRAが調教師の定年制を導入したためである。引退時91歳というのはJRA史上最年長の記録である。

騎手時代は気性難の馬を乗りこなすのが上手かった。そのコツは、「コブシを柔らかく、膝を柔らかく」して乗ることにあったという。 日本競馬史上初の牝馬のダービー馬であるヒサトモは気性が大変に悪く、調教では誰が乗ってもかかりどおしであったが、大久保だけは難なく乗りこなした。

門下生からも郷原洋行、的場均といった名騎手を輩出している。人柄は厳格であった半面弟子思いで、管理馬には常に門下生を乗せ、レースでいい結果を残せなかった場合でも降板させることはほとんどなかった。


[編集] 成績

[編集] 騎手成績
通算成績は資料がなく不明。


[編集] 主な勝ち鞍
東京優駿大競走(日本ダービー)(1933年カブトヤマ)

[編集] 調教師成績
通算成績6703戦775勝、重賞43勝(日本中央競馬会発足以降)


[編集] 主な勝ち鞍
東京優駿(日本ダービー)(1933年カブトヤマ、1955年オートキツ、1959年コマツヒカリ)
天皇賞(秋)(1962年11月クリヒデ)
農林省賞典(皐月賞)(1947年トキツカゼ)
阪神優駿牝馬・優駿牝馬(1939年ホシホマレ、1947年トキツカゼ、1948年ヤシマヒノ、1956年フェアマンナ)
農林省賞典障害(1936年ジュピターユートピア、1948年ブルーホマレ)

[編集] 受賞
優秀技術調教師賞(関東)(1955年)
調教技術賞(関東)(1977年)

[編集] 門下生
郷原洋行
的場均
坂本恒三
中口儀一郎
飯塚好次
関野弘行
大沢真
田村駿仁
二瓶郁夫
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2007年02月28日 トラックバック(-) コメント(-)

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