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大崎 昭一

大崎 昭一(おおさき しょういち、1945年1月15日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の元騎手で、現在は競馬評論家。宮崎県出身。

記者の質問には弱気のコメントをすることが多く、「泣きの昭ちゃん」といわれたが、レースでは厳しく大胆な騎乗ぶりで東京優駿(日本ダービー)、有馬記念をそれぞれ2勝するなど名手として活躍したが、たび重なる落馬事故により満身創痍であった。そのため競馬ファンの間では「怪我さえなければ1000勝は確実にできていた」といわれている。1999年引退。中央競馬通算970勝。


◆来歴

 ・1963年 柴田寛厩舎所属騎手としてデビュー。同期に安田伊佐夫など。
       障害では、この年1度目の中山大障害を制していたフジノオーに騎乗し2勝を挙げている。
 ・1964年 36勝をマーク。
 ・1965年 目黒記念(春)をブルタカチホで制し重賞初勝利。
       「稀代のクセ馬」カブトシローでカブトヤマ記念を勝ち重賞2勝目。
 ・1966年 調教中の落馬で馬の下敷きとなり、骨盤を7ヶ所骨折。
 ・1967年 カブトシローで有馬記念を制し、GI級レース初勝利。
 ・1968年 中央競馬(以下同様)通算100勝達成。
 ・1969年 ダイシンボルガードで東京優駿(日本ダービー)を制覇、レース後ファンに胴上げされる。
       24歳での勝利は戦後の最年少ダービージョッキー記録であった(当時)。
 ・1973年 福島競馬で外ラチに激突し落馬、胸部挫創および腰椎第一第二右横突起を骨折。
 ・1975年 フジノパーシアで天皇賞(秋)制覇。
 ・1976年 フジノパーシアで宝塚記念に勝利し、
       同馬でローレルパーク競馬場のワシントンD.C.インターナショナルへ遠征(6着)。
       通算300勝。
 ・1977年 府中競馬で落馬し、左第七~十一肋骨骨折、右下腿筋挫創の大怪我。1年2ヶ月休養。
 ・1978年 中山競馬で落馬、右大腿骨を骨折。治療ミスで骨が割れ1年近く休養。
 ・1979年 グリーングラスの引退レースに騎乗し、2度目の有馬記念制覇。
 ・1980年 福島競馬で落馬、再度の右大腿骨骨折。
 ・1981年 16番人気のカツトップエースで皐月賞を逃げ切り勝ち。
       東京優駿(日本ダービー)も同馬でサンエイソロンの猛追をハナ差しのぎ、
       ダービー2勝目を挙げる。フリーとなる。
 ・1982年 通算500勝。
 ・1985年 新潟競馬の本馬場入場で柵ごしにファンと言葉を交わした行為が公正競馬を害するされ、
       4ヵ月間の騎乗停止処分を受ける(新潟事件)。
 ・1987年 通算700勝。
 ・1991年 布施正調教師の誘いを受け小倉に遠征、以後関西での騎乗が中心となる。
 ・1992年 管理する橋口弘次郎調教師に出走を強く薦め、
       11番人気のレッツゴーターキンで天皇賞(秋)を制覇。
 ・1994年 通算900勝。
 ・1998年 中京競馬での落馬事故による後遺症から慢性硬膜下血腫を発症、頭部手術を受ける。
 ・1999年 復帰に向けリハビリを続けていたが、網膜色素変成症を発症し現役続行を断念。


◆騎手通算成績(中央競馬)

通算成績 1着 2着 3着 4着以下 騎乗回数 勝率 連対率
平地 962 898 901 6086 8847 .109 .210
障害 8 4 7 18 37 .216 .324
計 970 902 908 6104 8884 .109 .211

重賞通算36勝

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2006年12月31日 トラックバック(-) コメント(-)

東 信二

東 信二(あずましんじ、1951年11月24日 - )は、かつて日本中央競馬会(JRA)に所属していた元騎手で、現在は競馬評論家である。

中央競馬での通算成績: 5293戦512勝 中央重賞勝利は21勝


◆主な勝鞍

 ・1973年 スプリンターズステークス(キョウエイグリーン)
 ・1974年 安田記念(キョウエイグリーン)
 ・1981年 有馬記念(アンバーシャダイ)
 ・1987年 皐月賞、菊花賞(サクラスターオー)など

◆現在は、フジテレビのスーパー競馬の解説者(GI開催時出演の準レギュラー)

◆アンバーシャダイで有馬記念を制した時は、それまで騎乗していた加藤和宏がホウヨウボーイに騎乗するため、サクラスターオーも本来なら小島太が騎乗する筈だったが、小島と全オーナーとの対立で一時期「サクラ」が付く馬は東が騎乗していた。

2006年12月30日 トラックバック(-) コメント(-)

赤見 千尋

赤見 千尋(あかみ ちひろ、1978年2月2日 - )は、日本の元騎手。現役当時は高崎競馬場所属。アイドルジョッキーとして人気を集めたが、2004年の高崎競馬廃止に伴い引退、現在は競馬評論家(スポーツ文化人)として活動している。群馬県出身。


◆経歴

 ・1996年 高崎市立高崎経済大学附属高等学校卒業
 ・地方競馬教養センターを1998年に修了
 ・1998年10月10日に初騎乗
 ・1998年11月22日に初勝利
 ・2003年 WONDERPLANET杯・牡丹特別でハナノリボンに騎乗し2着
 ・2004年12月31日 高崎競馬場開催最終日第8競走でファーストルーチェに騎乗し勝利。
             これが高崎競馬最後の競走となる。  
 ・2005年 引退


◆生涯成績

出走2033回で1着91回・2着104回・3着125回・4着165回・5着178回・着外1370回

2006年12月29日 トラックバック(-) コメント(-)

境 勝太郎

境 勝太郎(さかいかつたろう、1920年3月6日 - )は、元騎手(札幌競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会(JRA))、元調教師(日本中央競馬会)。現在は競馬評論家。北海道出身。


◆経歴

北海道・倶知安競馬場で競馬の競走を観たのをきっかけに騎手を志す。 1935年、札幌競馬場の清水茂次厩舎で見習騎手となり、1936年、同競馬場の川崎敬次郎厩舎で騎手となる。騎手時代は星川泉士厩舎・久保田金造厩舎・二本柳俊夫厩舎など合計10もの厩舎に移籍を繰りかえしつつ、1944年の農商省賞典(皐月賞)(クリヤマト)、1950年の桜花賞(トサミツル)、1953年の天皇賞(秋)(クインナルビー)などに優勝した。ちなみにクインナルビーは後に怪物と称される名馬オグリキャップの五代前の母で、境自身オグリキャップの活躍にクインナルビーを思い出して内心喜び、「良い牝系は必ず後に名馬を産み出す」と語っている(オグリキャップは牝系以外は決して良血と言える血統ではないため)。

1966年、調教師免許を取得し白井にある中山競馬場の分場で厩舎を開業。当時は2400mの追い切りをかけるのが一般的な競走馬の調教手法であったが、白井の調教コースは1周1400mしかなかっため、1000mの追い切りをかける手法を採りいれ、美浦トレーニングセンター開設後もそのスタイルを貫いた。

1973年にスプリンターズステークスをキョウエイグリーンで制し重賞初制覇。1970年代後半以降は「サクラ」の冠名で知られるさくらコマース所有の競走馬によって数々の重賞・GIに優勝した。JRAが調教師の70歳定年制を導入したことに伴い、1997年2月28日、晩年の最高傑作・サクラローレルによる前年の有馬記念優勝を置き土産に調教師を引退した。

馬の蹄及び蹄鉄を重要視しており、「自分の見ていないところでは絶対に削蹄させなかった。どこを何ミリ削るかが成績や故障の原因になる」と著書で述べている。また、サクラローレルが海外遠征で故障した際も「故障の原因の一つは日本から装蹄師を同行させなかったことにある」旨のコメントをしている。

騎手時代には牝馬で勝利を収めることが多かったが、なぜか調教師になってからは逆に牝馬の成績が牡馬に比べて低かった。

人物的には強気の性格の持ち主として知られ、騎手時代から競馬マスコミの前で強気のコメントを連発することが多く、「境ラッパ」の異名をとった。また直言家でもあり、管理馬の騎乗を巡って、小島太や横山典弘といった厩舎の主戦騎手をマスコミの前で批判することも多かった。現在もスポーツニッポン紙上にて、「美浦の黄門様」として歯に衣着せぬ競馬評論を行っている。


◆成績

☆騎手成績

★主な勝ち鞍

皐月賞(1944年クリヤマト)
桜花賞(1950年トサミツル)
天皇賞(秋)(1953年クインナルビー)


☆調教師成績

通算成績5202戦656勝、重賞53勝

★主な勝ち鞍

天皇賞(春)(1996年サクラローレル)
天皇賞(秋)(1979年スリージャイアンツ、1986年サクラユタカオー、1995年サクラチトセオー)
東京優駿(日本ダービー)(1988年サクラチヨノオー)
有馬記念(1996年サクラローレル)
エリザベス女王杯(1995年サクラキャンドル)
スプリンターズステークス(1993年サクラバクシンオー、1994年サクラバクシンオー)
朝日杯3歳ステークス(1987年サクラチヨノオー、1988年サクラホクトオー)

★受賞

優秀調教師賞(関東)(1986年)
調教技術賞(関東)(1971年、1973年、1975年、1978年、1980年)
重賞獲得調教師賞(1986年)
東京記者クラブ賞(1996年)
スポーツ功労者 文部科学大臣顕彰(1995年度)

2006年12月28日 トラックバック(-) コメント(-)

長岡 一也

長岡 一也(ながおか かずや、1939年 - )は、元アナウンサーで現在は競馬ジャーナリスト。

千葉大学文理学部卒。1961年に、日本短波放送(現・ラジオNIKKEI)に入社し、アナウンサーとして主に競馬中継を担当。日本ダービーのレース実況を16年間担当した。
競馬マスコミに携わる傍らで、聴取者投稿による詩の紹介を番組化した「私の書いたポエム」を、1975年からセルフプロデュースで開始。当時同局の人気アナウンサーだった大橋照子と共に出演し、30年を超える長寿番組として現在も出演している。
1987年に日本短波放送を退社後は、番組制作会社のマイプランに所属。引き続き競馬に携わっており、自身が出演する、関東独立UHFテレビ局「中央競馬ワイド中継」 では、現在も東京と中山のメインレース(主に重賞レース)を実況。日曜日の番組内第2部冒頭で、メインレース映像と共に、その名調子を聞くことが出来る。
また、いやだようの筆名で「アチャラカ王国物語」なる小説も執筆した。


◆現在出演の主な番組

中央競馬ワイド中継 (関東各UHFテレビ放送局 司会、実況。番組公式サイト「週刊 出来事」欄には、毎週更新のコラム『長岡一也の岡目八目』が掲載されている)
私の書いたポエム (ラジオNIKKEI パーソナリティー)
マイクエッセー 競馬つれづれ帳 (週刊競馬ブック連載 2006年3月6日発売号の1000回目を最後に連載終了)

2006年12月27日 トラックバック(-) コメント(-)

吉岡 牧子

吉岡 牧子(よしおか まきこ、現姓・山元、1964年3月8日 - )は、益田競馬場(現在廃止)に所属していた元騎手である。現在は競馬評論家として競馬関係のテレビ番組やイベントに出演している。

1987年にデビュー。「インターナショナルクィーンズジョッキーシリーズ」という女性騎手による国際交流戦で3年連続総合優勝を飾るなど、常に地方競馬を代表する女性騎手として活躍。1995年に騎手を引退するまでの8年間で通算350勝をあげ、2005年に宮下瞳(名古屋競馬所属)に更新されるまで、女性騎手の通算勝利数の日本記録を保持していた。

2006年12月26日 トラックバック(-) コメント(-)

安田 富男

安田 富男(やすだ とみお、1947年10月7日-)は日本中央競馬会の元騎手で現在は競馬評論家である。

現役時代は万馬券に絡むことが多いことから「泥棒ジョッキー」と呼ばれた。また、若い頃は成績が上がるとすぐに遊び歩く為、何度も師匠の加藤朝次郎調教師から雷を落とされ有力馬から降ろされたというエピソードもある。また、JRAの騎手で初めてJRA競馬場全場重賞制覇を達成した騎手でもある。


◆来歴

 ・1968年 騎手免許取得し、加藤朝次郎厩舎からデビュー。
 ・1974年 小倉大賞典で初重賞制覇。
 ・1976年 グリーングラスで菊花賞制覇。
 ・1981年 加藤朝次郎の引退に伴い加藤修甫厩舎へ移籍。
 ・1985年 フリー騎手となる。
 ・1987年 タマツバキ記念に優勝しJRA全場重賞制覇に王手をかける。
 ・1994年 札幌競馬場でブリーダーズゴールドカップに勝利するもホッカイドウ競馬主催のレースだった為記録達成とならなかった。
 ・1996年 札幌スプリントステークスで史上初のJRA競馬場全場重賞制覇を達成。
 ・2001年9月2日 現役引退。


◆全競馬場重賞制覇

安田の打ち立てた大記録が上記にもあるJRA競馬場全場重賞制覇がある。安田自身はこの記録について「フラフラしていたから達成できた落ちこぼれの勲章」とインタビューで語っている

☆勝利重賞と競馬場

勝利年 施行競馬場 競走名 優勝馬名
1996年 札幌競馬場 札幌スプリントステークス ノーブルグラス
1987年 函館競馬場 タマツバキ記念 ロータリーザハレー
1975年 福島競馬場 七夕賞 ノボルトウコウ
1974年 新潟競馬場 関屋記念 ノボルトウコウ
1978年 中山競馬場 クイーンカップ キクキミコ
1976年 東京競馬場 目黒記念(春) ハクバタロー
1975年 中京競馬場 中日新聞杯 サンポウ
1976年 京都競馬場 菊花賞 グリーングラス
1984年 阪神競馬場 4歳牝馬特別 ダイナシュガー
1974年 小倉競馬場 小倉大賞典 ノボルトウコウ

※競馬場での初重賞勝利基準で記載


◆成績

通算成績 1着 2着 3着 4着以下 騎乗回数 勝率 連対率
平地 752 756 796 5989 8923 .0091 .182
障害 6 8 16 55 85 .071 .165
計 758 764 812 6044 8378 .090 .182

2006年12月25日 トラックバック(-) コメント(-)

細江 純子

細江 純子(ほそえ じゅんこ、1975年3月12日 - )は、JRA(日本中央競馬会)の元騎手である。現在は競馬評論家(ホース・コラボレーター)として活動中。愛知県蒲郡市出身。愛知県立蒲郡東高等学校卒業。


◆略歴

高校卒業後、OLとして社会人を経験したのち、騎手になりたいという夢を断ち切れず、競馬学校に入学。日本中央競馬会初の女性騎手として牧原由貴子、田村真来らとともにデビューした。いわゆる「競馬学校花の12期生」の1人で、競馬学校の同期生には福永祐一や和田竜二などがいる。

デビューは1996年3月2日の中京競馬第1競走、サファイヤリネンに騎乗し16頭立ての9着。初勝利は同年5月12日の京都競馬12競走、レゾンデートルで挙げた。そのレゾンデートルで、同年夏には重賞の北九州記念にも騎乗した(9着)が、デビューした年はわずか2勝に終わった。1999年には日本の女性騎手としては初となる海外競馬(シンガポール)での勝利を挙げた。しかし、目立った成績が残せぬまま、2001年6月15日に騎手を引退。中央競馬での通算成績は493戦14勝であった。

その他、写真集も出すなど異色な面も見せた。

本当に競走馬が好きらしく、牡馬には君付け、牝馬にはちゃん付けで呼ぶことがある(例えばディープインパクトはディープ君、シーザリオはシーザリオちゃんなど)。


◆エピソード

 ・かなりの天然キャラである
 ・騎手時代から酒豪で有名。フジテレビ739の「酔いどれ競馬」の放送中、酔った勢いで放送禁止用語を言った事がある。
 ・2006年5月14日の全レース終了後の東京競馬場パドック内で行われたチナッチャブル(うまッチ!番組内からうまれた若槻千夏・アンタッチャブル・番組プロデューサー矢延隆生のグループ)のCD発売のPRイベントで司会を務めた際、歌の終盤でやのべ副部長が最後の大サビを歌おうと大きく息を吸った瞬間「ありがとうございました~!」と勢いよく言ってしまい、最後の大サビとまるかぶりしてしまって会場を爆笑の渦に巻き込む。
 ・男性の多い競馬社会に長く居たため、下ネタは抵抗があるどころかむしろ気分が和むとのこと。
 ・顔は年齢よりも老けて見えるため、年配に見られることがあるが、実際にはゲスト出演の経験があるテレビ西日本「ドリーム競馬KOKURA」の司会・藤城真木子や関西テレビ「サタうま!」に出ている六車奈々よりも若い。


◆出演番組

 ・中央競馬ワイド中継(関東独立UHF5局ネット 土曜日レギュラー)
 ・グリーンチャンネル(CSテレビ放送)
 ・スポーツニッポン(大阪・西部本社版競馬コーナーの予想執筆)
 ・ドリーム競馬(GIレース及びディープインパクト専門レポーター)
 ・うまッチ!(フジテレビ系 隔週レギュラー)
 ・名馬の肖像2(KBS京都テレビ)
 ・ホソジュンのステッキなお話(netkeiba.com、競馬総合チャンネル)

2006年12月24日 トラックバック(-) コメント(-)

野元 賢一

野元賢一(のもと けんいち、1964年- )は東京都出身の日本経済新聞の競馬記者、競馬評論家。

競馬界に対する辛口の論評はファンが多い。ハルウララの休養を巡って馬主サイドと厩舎サイドが対立した際には、地方競馬における公然のタブーである「名義貸し」の問題にも踏み込んだ評論を展開した。


◆来歴

千葉県立布佐高等学校卒業
東京大学法学部卒業後、1987年4月に毎日新聞社入社。同社長野支局勤務を経て、本社運動部に転属しスポーツ記者となる。
1996年日本経済新聞社に移籍。当初は株式面担当であったが、30歳ごろより競馬専属記者として現在に至る。


◆著作

競馬よ!―夢とロマンを取り戻せ―

2006年12月23日 トラックバック(-) コメント(-)

高本 公夫

高本 公夫(たかもと きみお、1939年 - 1994年)は競馬評論家、作家。色丹島出身。明治大学文学部卒業。

主に中央競馬の馬券予想に関する本を著作した作家。いわゆる暗号馬券理論(サイン理論)の事実上の元祖として知られており、そのため競馬業界ではそのような予想のことを「タカモト式」(あるいは単に「タカモト」)と呼ぶほどである。推理小説の執筆や競馬劇画の原作もしていた。

ちなみに息子の高本達矢も競馬評論家であり、父の後を継いで馬券本を数多く著している。

2006年12月22日 トラックバック(-) コメント(-)

須田 鷹雄

須田鷹雄(すだ たかお、1970年6月8日 - )は、競馬評論家(本人曰く「お笑い競馬ライター」)。本名は下坂 昇平(しもさか しょうへい)。東京都出身。麻布高校、東京大学経済学部卒業。ペンネームの「須田鷹雄」は競走馬のスダホークに由来する。旅打ちが趣味。競馬等の公営競技だけではなく、海外のカジノ(特にラスベガス)にも頻繁に出かける。尊敬する人は師匠である井崎脩五郎であり、共著で書物を執筆することもある。また鈴木淑子司会の走れ!歌謡曲のハガキ職人でもあった。

主に競馬ライター(競馬評論家)として各種連載や著作執筆のほか、テレビ、ラジオにも出演。また、競馬関係の番組や格闘技番組(K-1 JAPAN等)の放送作家を務めるなど、幅広い分野で活動している。

体型や(酒好きで有名な)井崎脩五郎の弟子であることを考えると意外なことであるが、下戸であり酒を飲まない(体質的な理由なのか嗜好的な理由なのかは不明)。


◆経歴

大学在学中の1990年に別冊宝島「競馬ダントツ読本」でライターとしてデビュー。1994年にはJR東日本に就職するが(本人は著作の中で「副業」と書いている。当時は西船橋駅に勤務し、大川慶次郎がその「副業」ぶりを観に行ったことがある)、1996年に同社を退社、血統評論家の田端到が社長を務める有限会社ドラゴンプレスに所属する。学生・サラリーマン時代はメディアに顔や本名を露出することは無かったが、退社後はライターだけではなくイベント出演やテレビ出演等を積極的にこなすようになる。 ペンネームはスダホークから取った。2000年には自分の個人事務所として有限会社須田鷹雄商店を設立し取締役社長に就任。現在の外見からは考えられないが大学時代は 馬術部に所属しており騎乗技術に関する評論もある程度行える貴重な存在である。 競馬だけでなく競輪についても書いたことがある。ディープインパクトの薬物問題ではフリーの立場でありながらも JRAの対応を批判し話題になった。師である井崎脩五郎との出会いはなんと同氏の愛息の家庭教師を したことであったという。


◆主な出演番組

 ・BSフジ競馬中継(BSフジ、独自放送時)
 ・ドラマチック競馬(北海道文化放送)
 ・酔いどれない競馬(フジテレビ739)
 ・競馬予想TV!(フジテレビ739)
 ・RIDE ON 22(グリーンチャンネル、2006年1月より)

◆終了した番組
 ・競馬大王(BSフジ)
 ・ウィークエンド・パドック(ラジオたんぱ)


◆主な著作

 ・もうひとつのダビスタワールド(アスペクト)
 ・負け馬の遠吠え(双葉社)
 ・バンキシュ!(光文社)
 ・須田鷹雄の新理論「ガラット」(東邦出版)
 ・POGの達人シリーズ(光文社)

☆井崎脩五郎と共著

 ・ウマ家でわかる馬ゴコロ(ワニブックス)
 ・新「ウマ家」の謎(ザ・マサダ)
 ・完全「ウマ家」大事典(廣済堂出版)
 ・「最重要ウマ問題」裏議事録(ザ・マサダ)
 ・珍馬怪記録うま大全(ザ・マサダ)

2006年12月21日 トラックバック(-) コメント(-)

坂井 千明

坂井 千明(さかいちあき、1951年2月14日 - )は、元騎手(日本中央競馬会(JRA)所属)。現在は競馬評論家。

1970年に騎手免許を取得し、同年3月1日に初騎乗。2004年9月30日に引退するまで通算9864戦688勝、重賞11勝の成績をあげた。

騎手引退後は競馬評論家として活動するかたわら、若手騎手の勉強会、通称「千明塾」を主宰し、騎乗のポイントから営業の方法まで、幅広い指導を行っている。同塾の門下生として指導を受けた松岡正海、吉田隼人、石橋脩、津村明秀などが頭角を現してきており、その指導ぶりには定評がある。


◆著書
「坂井千明のコースの達人―JRA本部関係者や現役騎手も真実を語った」(2005年 メディアプロダクション)

2006年12月20日 トラックバック(-) コメント(-)

境 勝太郎

境 勝太郎(さかいかつたろう、1920年3月6日 - )は、元騎手(札幌競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会(JRA))、元調教師(日本中央競馬会)。現在は競馬評論家。北海道出身。


◆経歴

北海道・倶知安競馬場で競馬の競走を観たのをきっかけに騎手を志す。 1935年、札幌競馬場の清水茂次厩舎で見習騎手となり、1936年、同競馬場の川崎敬次郎厩舎で騎手となる。騎手時代は星川泉士厩舎・久保田金造厩舎・二本柳俊夫厩舎など合計10もの厩舎に移籍を繰りかえしつつ、1944年の農商省賞典(皐月賞)(クリヤマト)、1950年の桜花賞(トサミツル)、1953年の天皇賞(秋)(クインナルビー)などに優勝した。ちなみにクインナルビーは後に怪物と称される名馬オグリキャップの五代前の母で、境自身オグリキャップの活躍にクインナルビーを思い出して内心喜び、「良い牝系は必ず後に名馬を産み出す」と語っている(オグリキャップは牝系以外は決して良血と言える血統ではないため)。

1966年、調教師免許を取得し白井にある中山競馬場の分場で厩舎を開業。当時は2400mの追い切りをかけるのが一般的な競走馬の調教手法であったが、白井の調教コースは1周1400mしかなかっため、1000mの追い切りをかける手法を採りいれ、美浦トレーニングセンター開設後もそのスタイルを貫いた。

1973年にスプリンターズステークスをキョウエイグリーンで制し重賞初制覇。1970年代後半以降は「サクラ」の冠名で知られるさくらコマース所有の競走馬によって数々の重賞・GIに優勝した。JRAが調教師の70歳定年制を導入したことに伴い、1997年2月28日、晩年の最高傑作・サクラローレルによる前年の有馬記念優勝を置き土産に調教師を引退した。

馬の蹄及び蹄鉄を重要視しており、「自分の見ていないところでは絶対に削蹄させなかった。どこを何ミリ削るかが成績や故障の原因になる」と著書で述べている。また、サクラローレルが海外遠征で故障した際も「故障の原因の一つは日本から装蹄師を同行させなかったことにある」旨のコメントをしている。

騎手時代には牝馬で勝利を収めることが多かったが、なぜか調教師になってからは逆に牝馬の成績が牡馬に比べて低かった。

人物的には強気の性格の持ち主として知られ、騎手時代から競馬マスコミの前で強気のコメントを連発することが多く、「境ラッパ」の異名をとった。また直言家でもあり、管理馬の騎乗を巡って、小島太や横山典弘といった厩舎の主戦騎手をマスコミの前で批判することも多かった。現在もスポーツニッポン紙上にて、「美浦の黄門様」として歯に衣着せぬ競馬評論を行っている。


◆成績

☆騎手成績

★主な勝ち鞍

皐月賞(1944年クリヤマト)
桜花賞(1950年トサミツル)
天皇賞(秋)(1953年クインナルビー)


☆調教師成績

通算成績5202戦656勝、重賞53勝

★主な勝ち鞍

天皇賞(春)(1996年サクラローレル)
天皇賞(秋)(1979年スリージャイアンツ、1986年サクラユタカオー、1995年サクラチトセオー)
東京優駿(日本ダービー)(1988年サクラチヨノオー)
有馬記念(1996年サクラローレル)
エリザベス女王杯(1995年サクラキャンドル)
スプリンターズステークス(1993年サクラバクシンオー、1994年サクラバクシンオー)
朝日杯3歳ステークス(1987年サクラチヨノオー、1988年サクラホクトオー)

★受賞

優秀調教師賞(関東)(1986年)
調教技術賞(関東)(1971年、1973年、1975年、1978年、1980年)
重賞獲得調教師賞(1986年)
東京記者クラブ賞(1996年)
スポーツ功労者 文部科学大臣顕彰(1995年度)

2006年12月19日 トラックバック(-) コメント(-)

岡部 幸雄

岡部 幸雄(おかべ ゆきお、1948年10月31日-)は日本中央競馬会の元騎手。美浦所属のフリー騎手(どこの厩舎にも所属しない騎手)であった。群馬県太田市出身、血液型はA型。幾多の記録を塗り替え、クラシック三冠馬シンボリルドルフをはじめ数々の名馬の手綱を取った事で知られる。ファンの間で名手と称された。また、トレセンでの通り名は「ジョッキー」。タレントの岡部玲子とは親戚関係にある。


◆来歴

岡部は1967年に騎手免許を取得。同期に柴田政人(現調教師)、福永洋一(引退)、伊藤正徳(現調教師)などがおり「花の15期生」と呼ばれる。当初は鈴木清厩舎所属であったが、袂を別ってフリーになる。(以後、鈴木清厩舎の馬には騎乗していない。)若い頃から海外競馬に興味を持ち単身アメリカなどに出向き武者修行、そこで触れた欧米の競馬文化に多大な影響を受ける。米国・デルマー競馬場において、日本人騎手初勝利という歴史的快挙を達成、さらには海外のダービー(マカオダービー)を勝っている唯一の騎手でもある。1998年にタイキシャトルに騎乗しフランスのジャック・ル・マロワ賞を勝ったときには、悲願であった国際GI制覇を成し遂げた喜びから感極まる場面も。

馬の事を第一に考えた「馬優先主義」をポリシーに掲げ、早くからこれを実践していたが、当時の日本では岡部の主張は受け入れられる事はほとんどなかった。非常識とされていたことを数々覆し今日の競馬社会に多大な影響を与えた。日本における現代競馬の父とも呼ぶべきオピニオンリーダーであった。

また、騎乗技術の高さには定評があり、特に距離を変えてしまう(ような)騎乗が有名である。レオダーバンの菊花賞では距離を持たせるために3000mのレースで2000mの騎乗、シンボリルドルフの新馬戦ではレースを覚えさせるために1000mのレースを1600mの騎乗でレースに勝ったことは伝説となっている。

一見紳士ではあるが、怒らせると怖いタイプで、若い頃には危険な騎乗をした騎手を、レース後に騎乗したまま殴るなど今では信じられない伝説も持っている。例として、1984年2月18日の東京競馬第8競走で、岡部はクインテシオに騎乗していたが、向こう正面で杉浦宏昭(現・調教師)騎乗のスイートボルドーが斜行し、その行為に激高して岡部はとっさに杉浦を殴りつけてしまった。それによって実効2日間の騎乗停止をくらい、反省のため頭を丸めたという。

2002年12月の有馬記念での騎乗を最後に、オーバーホールのため休養に入る。膝の状態がかなり深刻であったため翌年4月には膝を手術。長いリハビリを終え2004年1月25日に復帰。同日中山競馬第9競走の若竹賞で、後に桜花賞を勝つダンスインザムードに騎乗し1着となった。生涯現役を目指し、夢の通算3000勝も見えてきた矢先ではあったが、体が思うように動かないことを理由に2005年2月20日以降騎乗を自粛。そして3月10日に38年間におよぶ騎手生活からの引退を明らかにした。これに伴って、2005年3月20日に当初予定されていた「東風ステークス」は「岡部幸雄騎手引退記念競走」(岡部本人は騎乗せず、優勝馬の関係者らに対する賞品のプレゼンターとして表彰式に出席)に変更され、引退式が中山競馬場で開かれた(この時、後輩騎手である横山典弘らの提案で、岡部を神輿に乗せ、騎手一同で担いでパドックを周回した)。特定騎手の業績を称えた競走の開催は地方競馬(佐々木竹見)での例があるが、中央競馬では稀。

引退後は、調教師や競馬学校教官等のJRA関係職には就かず、フリーの評論家的活動を行っている。なお、2006年10月からはJRAと「アドバイザリー契約」を締結し、審判業務に対する意見や助言、若手騎手に対する技術指導をすることとなった。また、トークショー等にも積極的に参加している。現役時代の印象とは裏腹に陽気なオジサンぶりを発揮している。2006年10月からはアサヒ飲料のコーヒー「WONDA」の「Gワンダレースキャンペーン」のCMに出演。

ディープインパクトとシンボリルドルフの比較を聞かれ、「ルドルフのほうが強い」と即答している。しかし、自ら「ディープのオッカケ」と言うほどディープインパクトのファンでもある。2006年10月1日には、ディープインパクトの出走する凱旋門賞の解説者としてNHKに出演。最後の直線では実況に混ざり「まだまだっ(まだ仕掛けるな、という意)」「大丈夫」「頑張れ!」などと発言した。これら、プロフェッショナルの視点からの感情のこもった発言は、多くの競馬ファンの間で好評を博した。

中央競馬の通算成績は18646戦2943勝(2006年現在史上最多)。


◆受賞

騎手大賞(1987年、1991年)
優秀騎手賞(1969年、1970年 - 1972年、1975年~1981年、1983年、1985年~2002年)
フェアプレー賞(1985年、1986年、1990年、1994年、1996年、1998年、2000年、2002年、2004年)
東京競馬記者クラブ賞(1987年)
日本プロスポーツ大賞
功労賞(1988年、1996年)
特別賞(1993年)
スポーツ功労者 文部科学大臣顕彰(2006年)


◆成績(JRA)

通算成績 1着 2着 3着 4着以下 騎乗回数 勝率 連対率
平地 2928 2437 2192 11027 18584 .158 .289
障害 15 9 5 33 62 .242 .387
計 2943 2446 2197 11060 18646 .158 .289

通算GI(級)39勝
通算重賞165勝
天皇賞を4つの競馬場で制したという珍記録を持っている(1978年春(京都競馬場で開催)にグリーングラスで制したのを皮切りに、1990年秋(東京競馬場で開催)にヤエノムテキで、1994年春(阪神競馬場で開催)にビワハヤヒデで、2002年秋(中山競馬場で開催)にシンボリクリスエスで制している)。
シンボリクリスエスの天皇賞は54歳2ヶ月での勝利で最高年齢GI勝利となっている。
長距離戦に強く、ダイヤモンドステークス(岡部勝利時、3200m)、ステイヤーズステークス(3600m)をともに7勝。GIにおいても菊花賞(3000m)を3勝、天皇賞(春)(3200m)を4勝しており、「長距離の岡部」と称されていた(長距離戦は騎手の技量の要素が短距離戦に比べて大きいとされるのが一般的である)。
桜花賞を勝てば八大競走完全制覇であったが、勝利する事はできなかった。
一流騎手でも体力面から40代半ばには引退する例が多いが、岡部は40歳以降にGIレースを23勝している。40代、50代になっても最前線で活躍した姿から、現役晩年は「鉄人」「生涯現役騎手」等の肩書きが多く見られた。


◆海外・地方成績

海外通算133戦13勝。1972年にアメリカ・デルマー競馬場で海外初騎乗。
主な勝ち鞍:ジャック・ル・マロワ賞(タイキシャトル)、マカオダービー(メディパル)など。
地方通算136戦25勝。
主な勝ち鞍:ブリーダーズゴールドカップ(ウイングアロー)、ダイオライト記念(デュークグランプリ)など。


◆代表騎乗馬

グリーングラス:TTGの1頭で、天皇賞(春)は岡部騎乗で勝利
ダイナカール:エアグルーヴの母で5頭並びの優駿牝馬(オークス)を勝利
シンボリルドルフ:史上初の無敗によるクラシック三冠馬。東京優駿(日本ダービー)では「競馬を教えられた」と言わしめる
レオダーバン:菊花賞を2000mのレースに持ち込むという美技で勝利
トウカイテイオー:4歳時の主戦騎手でジャパンカップを親子制覇
シンコウラブリイ:藤沢和雄厩舎初のGI馬でマイルチャンピオンシップを制覇
ビワハヤヒデ:岡部に乗り替わってからGI3勝
ジェニュイン:GI勝ちはすべて岡部騎乗時
バブルガムフェロー:2歳時と古馬時に主戦(天皇賞は蛯名正義が騎乗して勝った)
タイキシャトル:仏GI勝利でマイラーとしては初の年度代表馬
シンボリクリスエス:岡部にとって最後のGI勝利となった天皇賞(秋)のパートナー


◆著書

「馬・優先主義」:現役時代よりサンケイスポーツ紙・週刊Gallopに、現役を引退した現在も連載しているエッセイ。現在まで5巻出ている。主に競馬に関する評論。
「ルドルフの背」(池田書店)
「勝つための条件」(ブックマン社)
「チャンピオンのステッキ」(コミュニケーションハウス社)
「チャンピオンの密かなる愉しみ」(コミュニケーションハウス社)
「僕の競馬 僕の勝負」(大陸書房)
「勝つ為の条件-名手岡部 飛翔の蹄跡-」(日本文芸社)

2006年12月18日 トラックバック(-) コメント(-)

大崎 昭一

大崎 昭一(おおさき しょういち、1945年1月15日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の元騎手で、現在は競馬評論家。宮崎県出身。

記者の質問には弱気のコメントをすることが多く、「泣きの昭ちゃん」といわれたが、レースでは厳しく大胆な騎乗ぶりで東京優駿(日本ダービー)、有馬記念をそれぞれ2勝するなど名手として活躍したが、たび重なる落馬事故により満身創痍であった。そのため競馬ファンの間では「怪我さえなければ1000勝は確実にできていた」といわれている。1999年引退。中央競馬通算970勝。


◆来歴

 ・1963年 柴田寛厩舎所属騎手としてデビュー。同期に安田伊佐夫など。
       障害では、この年1度目の中山大障害を制していたフジノオーに騎乗し2勝を挙げている。
 ・1964年 36勝をマーク。
 ・1965年 目黒記念(春)をブルタカチホで制し重賞初勝利。
       「稀代のクセ馬」カブトシローでカブトヤマ記念を勝ち重賞2勝目。
 ・1966年 調教中の落馬で馬の下敷きとなり、骨盤を7ヶ所骨折。
 ・1967年 カブトシローで有馬記念を制し、GI級レース初勝利。
 ・1968年 中央競馬(以下同様)通算100勝達成。
 ・1969年 ダイシンボルガードで東京優駿(日本ダービー)を制覇、レース後ファンに胴上げされる。
       24歳での勝利は戦後の最年少ダービージョッキー記録であった(当時)。
 ・1973年 福島競馬で外ラチに激突し落馬、胸部挫創および腰椎第一第二右横突起を骨折。
 ・1975年 フジノパーシアで天皇賞(秋)制覇。
 ・1976年 フジノパーシアで宝塚記念に勝利し、
       同馬でローレルパーク競馬場のワシントンD.C.インターナショナルへ遠征(6着)。
       通算300勝。
 ・1977年 府中競馬で落馬し、左第七~十一肋骨骨折、右下腿筋挫創の大怪我。1年2ヶ月休養。
 ・1978年 中山競馬で落馬、右大腿骨を骨折。治療ミスで骨が割れ1年近く休養。
 ・1979年 グリーングラスの引退レースに騎乗し、2度目の有馬記念制覇。
 ・1980年 福島競馬で落馬、再度の右大腿骨骨折。
 ・1981年 16番人気のカツトップエースで皐月賞を逃げ切り勝ち。
       東京優駿(日本ダービー)も同馬でサンエイソロンの猛追をハナ差しのぎ、
       ダービー2勝目を挙げる。フリーとなる。
 ・1982年 通算500勝。
 ・1985年 新潟競馬の本馬場入場で柵ごしにファンと言葉を交わした行為が公正競馬を害するされ、
       4ヵ月間の騎乗停止処分を受ける(新潟事件)。
 ・1987年 通算700勝。
 ・1991年 布施正調教師の誘いを受け小倉に遠征、以後関西での騎乗が中心となる。
 ・1992年 管理する橋口弘次郎調教師に出走を強く薦め、
       11番人気のレッツゴーターキンで天皇賞(秋)を制覇。
 ・1994年 通算900勝。
 ・1998年 中京競馬での落馬事故による後遺症から慢性硬膜下血腫を発症、頭部手術を受ける。
 ・1999年 復帰に向けリハビリを続けていたが、網膜色素変成症を発症し現役続行を断念。


◆騎手通算成績(中央競馬)

通算成績 1着 2着 3着 4着以下 騎乗回数 勝率 連対率
平地 962 898 901 6086 8847 .109 .210
障害 8 4 7 18 37 .216 .324
計 970 902 908 6104 8884 .109 .211

重賞通算36勝

2006年12月17日 トラックバック(-) コメント(-)

石川 喬司

石川 喬司(いしかわ たかし 1930年9月17日 - )は愛媛県出身の作家、評論家。

愛媛県四国中央市出身。1953年、東京大学文学部仏文学科卒業。同年、毎日新聞社に入社。新聞記者生活の傍ら文筆生活に入る。1963年3月5日、星新一や小松左京たち10人と共に日本SF作家クラブを設立。

出版局編集次長を経て、1971年に毎日新聞社を退社。1978年、『SFの時代』により日本推理作家協会賞受賞。SF作家としての代表作に、自らの悲惨な戦争体験に基づく『魔法つかいの夏』がある。1979年には東京大学にて「文学と時間」と題する講義をおこない、日本の大学における最初のSF講座として話題を呼んだ。

競馬にも造詣が深く、競馬評論家としても知られる。当人は馬家(ばか)を自称。

日本推理作家協会常任理事。日本文芸家協会、日本ペンクラブ、日本SF作家クラブ、アジア・アフリカ作家会議の各会員。競馬国際交流協会評議員。日本SF大賞、江戸川乱歩賞、横溝正史賞などの選考委員。日本SF評論賞選考委員長。

2006年12月16日 トラックバック(-) コメント(-)

アンドリュー・ベイヤー

アンドリュー・ベイヤー(Andrew Beyer)は、アメリカ合衆国の競馬評論家。ハーバード大学卒業。スピード指数の一種であるベイヤー指数(Beyer Speed Figure)を考案したことで知られている。

1960年代後半から競馬記者としての活動を開始。1970年代に競走馬の走破タイムなどを元にしたベイヤー指数を考案。1992年からはアメリカで最大のシェアを占める競馬新聞のデイリー・レーシング・フォームにその指数が掲載されている。スピード指数を用いる予想方法は日本にも多大な影響を与えており独自の指数も多数発表されている。また競馬に関するコラムニストとしての一面も持ち合わせておりワシントン・ポストでコラムを執筆しているほか、著書は日本でも訳されて出版されている。


◆主な著書

 ・勝ち馬を探せ!! (1990年・ISBN 4-89595-011-5)山本尊 訳
 ・ウイニング・ホースプレイヤー (1992年・ISBN 4-426-54710-5)山本尊 訳
 ・勝ち馬を探せ! 改訂保存版 (1994年・ISBN 4-89595-083-2)山本尊 訳
 ・競馬探究の先端モード (1995年・ISBN 4-426-55003-3)山本尊 訳
 ・マイオールドケンタッキーホーム (2000年・ISBN 4-426-76006-2)山本尊 訳
 ・アメリカ競馬戦略9つの頂点 (2005年・ISBN 4-426-76302-9)複数名との共著、平尾圭吾 訳
※題名・出版年・ISBNは日本版のもの

2006年12月15日 トラックバック(-) コメント(-)

東 信二

東 信二(あずましんじ、1951年11月24日 - )は、かつて日本中央競馬会(JRA)に所属していた元騎手で、現在は競馬評論家である。

中央競馬での通算成績: 5293戦512勝 中央重賞勝利は21勝


◆主な勝鞍

 ・1973年 スプリンターズステークス(キョウエイグリーン)
 ・1974年 安田記念(キョウエイグリーン)
 ・1981年 有馬記念(アンバーシャダイ)
 ・1987年 皐月賞、菊花賞(サクラスターオー)など

◆現在は、フジテレビのスーパー競馬の解説者(GI開催時出演の準レギュラー)

◆アンバーシャダイで有馬記念を制した時は、それまで騎乗していた加藤和宏がホウヨウボーイに騎乗するため、サクラスターオーも本来なら小島太が騎乗する筈だったが、小島と全オーナーとの対立で一時期「サクラ」が付く馬は東が騎乗していた。

2006年12月14日 トラックバック(-) コメント(-)

赤木 駿介

赤木駿介(あかぎ しゅんすけ、1929年 - )は、日本の競馬評論家、作家。
明治学院大学中退、東京経済大学中退。主婦の友社、平凡出版、日本リサーチセンター勤務を経て1967年、フジテレビ「競馬中継」の解説者となる。同番組には1975年まで出演した。
ハイセイコーを熱心に取材し、1975年に『実録ハイセイコー物語-愛されつづけた郷愁の馬』を出版した。

2006年12月13日 トラックバック(-) コメント(-)

山田 一雄

山田 一雄(やまだ かずお)は、 競馬ブック専属の競馬評論家。

競馬ブックトラックマンを経て、同紙の専属評論家として新聞、雑誌に寄稿する他、KBS京都ラジオ(冠番組「山田一雄の競馬展望」をG1レース当該週、並びにG1に直結するレースの開催週放送)、ラジオ関西の競馬中継の解説に携わる。 ※2005年末まではMBS(毎日放送)ラジオでも解説に携わっていた。

2006年12月13日 トラックバック(-) コメント(-)

松沢 俊夫

松沢 俊夫(まつざわ としお)は競馬評論家。東京都出身。父は元ジョッキー。

幼少の頃から馬と接して育つ。1951年、競馬専門紙の競馬研究に入社。以降、ラジオ関東(現・ラジオ日本)、ラジオたんぱ(現・ラジオNIKKEI)の解説者を経て、1985年から2002年まで「中央競馬ワイド中継、中央競馬ハイライト(ともに独立UHF放送局)」に出演した。

なお、その後はグリーンチャンネルでの調教解説を担当している。

2006年12月13日 トラックバック(-) コメント(-)

播磨 政勝

播磨 政勝(はりま まさかつ、1951年 - )は、愛媛県出身の競馬評論家・ターフライター。

元々プロ野球選手を目指そうとしたが挫折。その後テレビの競馬中継でハイセイコーが人気を集めたことをきっかけに、趣味と実益の一環としてサンケイスポーツに入社。競馬エイトトラックマンを長年担当し、特に1998年から2002年には本紙予想を担当して1998、2000、2002年には収支・回収率・的中率で、何れもトップの「三冠」を飾る実力を誇った。本紙予想を退いた2003年と2004年には1面にコラム「ズバリこの馬!!」を執筆し、回収率115%(一点毎同じ額を予想通りに買い続ければ15パーセントの黒字)をマークし、信頼を集めた。

2004年4月にサンスポを退社した後はフリーのターフライターとしての活動を始めるようになり、日刊ゲンダイ(関西版)に「新・ズバリこの馬!!」を執筆している。また、小倉競馬場での中央競馬開催期間中の毎週日曜日にテレビ西日本で放送しているドリーム競馬でもレース解説を担当している。(1-2月の第3場開催のときはメイン解説者)

2006年12月13日 トラックバック(-) コメント(-)

原 良馬

原 良馬(はら りょうま、1933年生まれ)は、競馬ジャーナリスト。群馬県出身。

元々は雑誌の記者をしていたが、その雑誌で掲載していた競馬関連の読み物の執筆をきっかけに競馬ジャーナリストを志して、デイリースポーツ東京本社に入社。中央競馬の予想記者を担当していた。

その後独立し競馬ジャーナリスト活動を本格化し、ラジオ日経・「中央競馬実況・土曜日午前中」、テレビ東京・「ウイニング競馬」のレギュラー解説、また雑誌の競馬コラムや美浦トレーニングセンターで行われるGIレース公開調教会の司会進行なども担当している。

俳優座の養成所出身で山本學、市原悦子、大山のぶ代などと同期。

2006年12月13日 トラックバック(-) コメント(-)

赤見 千尋

赤見 千尋(あかみ ちひろ、1978年2月2日 - )は、日本の元騎手。現役当時は高崎競馬場所属。アイドルジョッキーとして人気を集めたが、2004年の高崎競馬廃止に伴い引退、現在は競馬評論家(スポーツ文化人)として活動している。群馬県出身。


◆経歴

 ・1996年 高崎市立高崎経済大学附属高等学校卒業
 ・地方競馬教養センターを1998年に修了
 ・1998年10月10日に初騎乗
 ・1998年11月22日に初勝利
 ・2003年 WONDERPLANET杯・牡丹特別でハナノリボンに騎乗し2着
 ・2004年12月31日 高崎競馬場開催最終日第8競走でファーストルーチェに騎乗し勝利。
             これが高崎競馬最後の競走となる。  
 ・2005年 引退


◆生涯成績

出走2033回で1着91回・2着104回・3着125回・4着165回・5着178回・着外1370回

2006年12月12日 トラックバック(-) コメント(-)

丹下 日出夫

丹下 日出夫(たんげ ひでお)はホースニュース・馬の編集者であり、関東版中央本紙担当。ペーパーオーナーゲーム向けの執筆活動を盛んに行っており、複数の競馬雑誌で連載をもち、ペーパーオーナーゲーム用の解説本の執筆編集を行っている。

中央競馬ワイド中継(独立UHF放送局)の「丹下日出夫の今日の丹券」に出演している。

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柏木 集保

柏木 集保(かしわぎ しゅうほ、1948年 - )は競馬評論家。長野県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。

1973年に競馬新聞「日刊競馬」を発行する日刊競馬新聞社に入社し、以後同社にて長年にわたり競馬予想を担当。1983年からは同紙の本紙予想を担当、現在は同紙の編集長を務める。日刊競馬の看板予想家である。

同紙のコラム「編集長の競馬」を担当。血統、走破タイムなどから多角的にレースを推理、寸評し独自の予想スタイルを貫いている。

中央競馬ワイド中継(独立UHF放送局)に出演しているほか、日刊競馬のCMにも出演している。

2006年12月12日 トラックバック(-) コメント(-)

大坪 元雄

大坪 元雄(おおつぼ もとお、1939年11月23日 - )は、競馬評論家。

ホースニュース・馬、競馬ブックのトラックマンを経て同紙専属評論家。ラジオNIKKEI(旧・ラジオたんぱ)の毎週土曜日の午後の競馬中継と、関西テレビの日曜競馬中継「ドリーム競馬」のメイン解説を勤めている。

パドックやレース前解説での「男馬のような(牝馬。筋肉が勝った馬について用いる)」、「脾腹のあたりが(人体の構造と同じ様に考えれば馬で言えば肋骨と後ろ脚の間ぐらい?馬体重が適正か、体調はどうかを把握する上で重要)」、などの相馬眼コメントはともかく「存外~」「ジョッキー(騎手)が跨って気合が…」などの独特な、しかし毎度のように使う言い回しや、「クロシオ(クロフネ)」、「マンハッタンギャル(マンハッタンカフェ)」、「オースミパレード(オースミレパード)」、などの馬名の言い間違い、さらには「10点満点はあげられなくても、90(点)ぐらいはあげられるんじゃないですか」といった矛盾に満ちた発言など、時にさすがと思わせる独特の着眼点と彼ならではの「味」で競馬ファンに広く知られている。最近では、優駿牝馬で3着になったディアデラノビアの馬名を言えず、ドリーム競馬の中京開催の時の司会者である、山田雅人にフォローしてもらっていたり、馬場鉄志アナウンサーに「時間がありませんので、ラインクラフトについて手短にお願いします。」と言われたにもかかわらず、長々とラインクラフトについて喋ったあげく、ライバルのエアメサイアについても喋ろうとしたため、馬場鉄志アナウンサーに「ありがとうございました」と途中で遮られてしまった。またコメント中にレースがスタートしてしまったこともある。

予想は本命党が絶対的多数を占める競馬ブックの中でも超本命党で、重い印(本命や対抗)を付けた馬は上位人気になることがほとんどである。一方で2005年の天皇賞(春)でアイポッパーが本命で「3連単の穴馬としてビッグゴールドとスズカマンボ」とドリーム競馬内で公表。結局1着スズカマンボ、2着ビッグゴールド、3着アイポッパーと3連単が190万馬券となった。3連複を購入していれば当然的中していることになるが・・・ちなみに配当は22万5950円だった。

2006年12月12日 トラックバック(-) コメント(-)

井崎 脩五郎

井崎 脩五郎(いさき しゅうごろう、1947年7月23日生(本名:布目健二))はホースニュース・馬に所属している競馬評論家兼会社員(株式会社ホースニュース広報部部長)。長野県伊那市出身。 明治大学商学部除籍後、株式会社ホースニュースに入り、競馬専門紙記者となる。父は浪曲奇術師の布目貫一。

フジテレビのスーパー競馬に出演しており独特のデータ予想を駆使して、また持ち前の明るくユニークな性格で人気を博している。
また、本業の競馬予想・評論にとどまらず、TBSテレビ「噂の!東京マガジン」の中吊り評論家など複数の評論家の肩書きで豊富な知識で幅広い分野で活躍している。大学の教養課程時代は北野武と同窓であり平成教育委員会で再会した際には明大をだめにした男だとたけしから指摘されていた。
また同番組では競馬より当たりますねともコメントした。かつてはタキシード姿で出演するのがトレードマークであったが現在はスーツが多い。そのキャラクターから普通とは逆に予想が的中すると苦情が来るとか。

十数年前のスーパー競馬では三十連敗を記録し記念に楠玉が割れる程であったが2005年の宝塚記念では 大穴を一点で的中させるなど鋭い予想も時折展開する。またデータ以外にも馬名や枠連の数字やサインに 関する造詣も深くそれに関する予想も数多く行う。これは大学の先輩にあたる高本公夫の影響だという。但し的中率はデータ予想時以上に落ち込むがそれでも1996年のオークスでは出走直前に放送された噂の!東京マガジンにおいて枠連1-4、1点でいいと言明し森本毅郎に即座にその組み合わせはいりませんねと 言われつつも的中させた。 パソコンゲームウイニングポストに井坂脩三郎というキャラが登場するが容姿や口調が井崎そっくりである。

ちなみに、世界の競馬珍話集(但し自身の創作も多い)や競馬をテーマにした小説も何冊か出版している。

名前の読み方は「いさき」が正しいが、一般的には「いざき」と呼ばれ、本人も時々「いざき」と言ってしまうことがある。


◆出演番組
  ・スーパー競馬(フジテレビ)
  ・噂の!東京マガジン(TBSテレビ)
  ・おしゃべりクイズ疑問の館(NHKラジオ第1・不定期ゲスト)
  ・酔いどれない競馬(フジテレビ739)

◆ かつて出演していた番組
  ・チャレンジ・ザ・競馬(フジテレビ・番組終了)
  ・うまなりクン(フジテレビ・番組終了)※丼崎脩五郎(どんぶりざきしゅうごろう)として予想を担当
  ・あしたのG(フジテレビ・番組終了)
  ・梶原しげるの本気でDONDON(文化放送・番組終了)
  ・井崎脩五郎の一番人気(JFN・番組終了)

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阿部 幸太郎

阿部 幸太郎(あべ こうたろう)は競馬評論家。2005年現在は夕刊フジに在籍。通称アベコー。

2002年以前はホースニュース・馬の記者として、井崎脩五郎と並ぶ同紙の看板予想家として活躍。また中央競馬ワイド中継(独立UHF放送局)の日曜日に出演し、中でも「アベコーの穴等専科」が大人気だった。

夕刊フジに移籍してからはBSフジの競馬大王にも出演し、「アベコーの万券予報」も人気を博した。

中央競馬の全レースを完全中継している、CS放送「グリーンチャンネル」2006年1月のリニューアルから、G1レースの行われる日曜日に、『中央競馬中継EAST』(後半)のゲストコメンテーターとして出演している。

2006年12月12日 トラックバック(-) コメント(-)

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