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長岡 一也

長岡 一也(ながおか かずや、1939年 - )は、元アナウンサーで現在は競馬ジャーナリスト。

千葉大学文理学部卒。1961年に、日本短波放送(現・ラジオNIKKEI)に入社し、アナウンサーとして主に競馬中継を担当。日本ダービーのレース実況を16年間担当した。
競馬マスコミに携わる傍らで、聴取者投稿による詩の紹介を番組化した「私の書いたポエム」を、1975年からセルフプロデュースで開始。当時同局の人気アナウンサーだった大橋照子と共に出演し、30年を超える長寿番組として現在も出演している。
1987年に日本短波放送を退社後は、番組制作会社のマイプランに所属。引き続き競馬に携わっており、自身が出演する、関東独立UHFテレビ局「中央競馬ワイド中継」 では、現在も東京と中山のメインレース(主に重賞レース)を実況。日曜日の番組内第2部冒頭で、メインレース映像と共に、その名調子を聞くことが出来る。
また、いやだようの筆名で「アチャラカ王国物語」なる小説も執筆した。


◆現在出演の主な番組

中央競馬ワイド中継 (関東各UHFテレビ放送局 司会、実況。番組公式サイト「週刊 出来事」欄には、毎週更新のコラム『長岡一也の岡目八目』が掲載されている)
私の書いたポエム (ラジオNIKKEI パーソナリティー)
マイクエッセー 競馬つれづれ帳 (週刊競馬ブック連載 2006年3月6日発売号の1000回目を最後に連載終了)

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目黒 貴子

目黒貴子(めぐろ あつこ、1969年4月30日 - )は、福島県出身の女性タレント。シャベール所属。

2000年3月25日までテレビ東京の土曜競馬中継のパドックやリポーターを務めた。同年4月1日から中央競馬ワイド中継のリポーターを担当し、2003年10月4日からは高林奈央の後を受けて土曜日のキャスターとなった。その他にも2002年10月5日~2004年12月25日にフジテレビの深夜番組あしたのGのホースレディーを務めた。また、デイリースポーツの毎週土曜日朝刊に競馬予想を連載している。大人の女性の醸し出す艶っぽさに魅了される競馬ファンも多い。テレビ出演はほとんど東日本の系列中心の為、関西など西日本ではほぼ無名に近く、競馬ファンでも知らない人は多い。

特技は、スキー、ゴルフ、テニス、競馬、フットサル。

◆主な出演歴

ぜっぴんTV(テレビ東京リポーター)
女流棋士トーナメント(MXテレビ司会者)
さわやか彩の国(テレビ東京リポーター)
昼どきっ!見聞録(テレビ東京リポーター)

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野元 賢一

野元賢一(のもと けんいち、1964年- )は東京都出身の日本経済新聞の競馬記者、競馬評論家。

競馬界に対する辛口の論評はファンが多い。ハルウララの休養を巡って馬主サイドと厩舎サイドが対立した際には、地方競馬における公然のタブーである「名義貸し」の問題にも踏み込んだ評論を展開した。


◆来歴

千葉県立布佐高等学校卒業
東京大学法学部卒業後、1987年4月に毎日新聞社入社。同社長野支局勤務を経て、本社運動部に転属しスポーツ記者となる。
1996年日本経済新聞社に移籍。当初は株式面担当であったが、30歳ごろより競馬専属記者として現在に至る。


◆著作

競馬よ!―夢とロマンを取り戻せ―

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山田 一雄

山田 一雄(やまだ かずお)は、 競馬ブック専属の競馬評論家。

競馬ブックトラックマンを経て、同紙の専属評論家として新聞、雑誌に寄稿する他、KBS京都ラジオ(冠番組「山田一雄の競馬展望」をG1レース当該週、並びにG1に直結するレースの開催週放送)、ラジオ関西の競馬中継の解説に携わる。 ※2005年末まではMBS(毎日放送)ラジオでも解説に携わっていた。

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宮崎 秀一

宮崎 秀一(みやざきしゅういち)は日刊競馬の記者でチーフトラックマン。

調教内容をベースにした主に穴狙いの予想スタイルで同紙では人気が高く、高額配当的中もしばしばある。同紙のコラム「穴カルト」を担当。

中央競馬ワイド中継(独立UHF放送局)に出演し1998年6月13日以前は「宮崎秀一の注目馬」で日曜日の注目馬をピックアップしたが同年6月20日からパドック解説も担当している。

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松本 憲二

松本 憲二(まつもと けんじ、1943年9月23日-)は競馬評論家。競馬専門紙競馬ブックのトラックマンで本紙予想を担当。調教解説に定評がある。

1987年4月から2003年6月14日まで中央競馬ワイド中継(独立UHF放送局)の土曜日の解説者を務めた。現在はラジオNIKKEIの競馬解説者で、週刊競馬大道場!!では総合司会に当たる「師範代」として出演中。

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松沢 俊夫

松沢 俊夫(まつざわ としお)は競馬評論家。東京都出身。父は元ジョッキー。

幼少の頃から馬と接して育つ。1951年、競馬専門紙の競馬研究に入社。以降、ラジオ関東(現・ラジオ日本)、ラジオたんぱ(現・ラジオNIKKEI)の解説者を経て、1985年から2002年まで「中央競馬ワイド中継、中央競馬ハイライト(ともに独立UHF放送局)」に出演した。

なお、その後はグリーンチャンネルでの調教解説を担当している。

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星野 英治

星野 英治(ほしの えいじ)は競馬研究の記者で、土曜日の中央競馬ワイド中継、中央競馬ハイライト、日曜日の中央競馬ハイライト(ともに独立UHF放送局)に出演している。

なお日曜日の中央競馬ハイライトは中山、新潟開催時にしか出演できない仕組みになっている。土曜日の中央競馬ワイド中継は実況席からの解説となっている。 予想スタイルは徹底した本命党で、ほとんどのレースで1~2番人気の馬を本命にしている。

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播磨 政勝

播磨 政勝(はりま まさかつ、1951年 - )は、愛媛県出身の競馬評論家・ターフライター。

元々プロ野球選手を目指そうとしたが挫折。その後テレビの競馬中継でハイセイコーが人気を集めたことをきっかけに、趣味と実益の一環としてサンケイスポーツに入社。競馬エイトトラックマンを長年担当し、特に1998年から2002年には本紙予想を担当して1998、2000、2002年には収支・回収率・的中率で、何れもトップの「三冠」を飾る実力を誇った。本紙予想を退いた2003年と2004年には1面にコラム「ズバリこの馬!!」を執筆し、回収率115%(一点毎同じ額を予想通りに買い続ければ15パーセントの黒字)をマークし、信頼を集めた。

2004年4月にサンスポを退社した後はフリーのターフライターとしての活動を始めるようになり、日刊ゲンダイ(関西版)に「新・ズバリこの馬!!」を執筆している。また、小倉競馬場での中央競馬開催期間中の毎週日曜日にテレビ西日本で放送しているドリーム競馬でもレース解説を担当している。(1-2月の第3場開催のときはメイン解説者)

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原 良馬

原 良馬(はら りょうま、1933年生まれ)は、競馬ジャーナリスト。群馬県出身。

元々は雑誌の記者をしていたが、その雑誌で掲載していた競馬関連の読み物の執筆をきっかけに競馬ジャーナリストを志して、デイリースポーツ東京本社に入社。中央競馬の予想記者を担当していた。

その後独立し競馬ジャーナリスト活動を本格化し、ラジオ日経・「中央競馬実況・土曜日午前中」、テレビ東京・「ウイニング競馬」のレギュラー解説、また雑誌の競馬コラムや美浦トレーニングセンターで行われるGIレース公開調教会の司会進行なども担当している。

俳優座の養成所出身で山本學、市原悦子、大山のぶ代などと同期。

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藤井 嘉夫

藤井 嘉夫(ふじいよしお、1946年8月3日 - )は競馬専門紙・競馬ブックの栗東担当のトラックマン。大阪府出身。B型。

競馬ブックでは、京都・阪神の開催及び中京・小倉の主場開催の編集・本紙予想を担当しており、長年にわたりKBS京都テレビの「日曜競馬中継」のメイン解説、土曜日夜の「競馬展望」も務めている。

お決まりのフレーズは紹介された際のご挨拶「よろしくどうぞ!」、追い切りVTRでの「この馬も馬なりでねぇ・・・。」、最後のご挨拶「どうも失礼しました!」が有名である。

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中野秀幸

中野 秀幸(なかの ひでゆき、1944年12月10日 - )は競馬専門紙・競馬ブックの栗東担当のトラックマン。兵庫県出身。A型。

競馬ブックでは、京都・阪神の開催及び中京・小倉の主場開催の編集・本紙予想を担当しており、長年にわたりKBS京都テレビの「土曜競馬中継」のメイン解説も務めている。

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丹下 日出夫

丹下 日出夫(たんげ ひでお)はホースニュース・馬の編集者であり、関東版中央本紙担当。ペーパーオーナーゲーム向けの執筆活動を盛んに行っており、複数の競馬雑誌で連載をもち、ペーパーオーナーゲーム用の解説本の執筆編集を行っている。

中央競馬ワイド中継(独立UHF放送局)の「丹下日出夫の今日の丹券」に出演している。

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柏木集保

柏木 集保(かしわぎ しゅうほ、1948年 - )は競馬評論家。長野県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。

1973年に競馬新聞「日刊競馬」を発行する日刊競馬新聞社に入社し、以後同社にて長年にわたり競馬予想を担当。1983年からは同紙の本紙予想を担当、現在は同紙の編集長を務める。日刊競馬の看板予想家である。

同紙のコラム「編集長の競馬」を担当。血統、走破タイムなどから多角的にレースを推理、寸評し独自の予想スタイルを貫いている。

中央競馬ワイド中継(独立UHF放送局)に出演しているほか、日刊競馬のCMにも出演している。

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大坪 元雄

大坪 元雄(おおつぼ もとお、1939年11月23日 - )は、競馬評論家。

ホースニュース・馬、競馬ブックのトラックマンを経て同紙専属評論家。ラジオNIKKEI(旧・ラジオたんぱ)の毎週土曜日の午後の競馬中継と、関西テレビの日曜競馬中継「ドリーム競馬」のメイン解説を勤めている。

パドックやレース前解説での「男馬のような(牝馬。筋肉が勝った馬について用いる)」、「脾腹のあたりが(人体の構造と同じ様に考えれば馬で言えば肋骨と後ろ脚の間ぐらい?馬体重が適正か、体調はどうかを把握する上で重要)」、などの相馬眼コメントはともかく「存外~」「ジョッキー(騎手)が跨って気合が…」などの独特な、しかし毎度のように使う言い回しや、「クロシオ(クロフネ)」、「マンハッタンギャル(マンハッタンカフェ)」、「オースミパレード(オースミレパード)」、などの馬名の言い間違い、さらには「10点満点はあげられなくても、90(点)ぐらいはあげられるんじゃないですか」といった矛盾に満ちた発言など、時にさすがと思わせる独特の着眼点と彼ならではの「味」で競馬ファンに広く知られている。最近では、優駿牝馬で3着になったディアデラノビアの馬名を言えず、ドリーム競馬の中京開催の時の司会者である、山田雅人にフォローしてもらっていたり、馬場鉄志アナウンサーに「時間がありませんので、ラインクラフトについて手短にお願いします。」と言われたにもかかわらず、長々とラインクラフトについて喋ったあげく、ライバルのエアメサイアについても喋ろうとしたため、馬場鉄志アナウンサーに「ありがとうございました」と途中で遮られてしまった。またコメント中にレースがスタートしてしまったこともある。

予想は本命党が絶対的多数を占める競馬ブックの中でも超本命党で、重い印(本命や対抗)を付けた馬は上位人気になることがほとんどである。一方で2005年の天皇賞(春)でアイポッパーが本命で「3連単の穴馬としてビッグゴールドとスズカマンボ」とドリーム競馬内で公表。結局1着スズカマンボ、2着ビッグゴールド、3着アイポッパーと3連単が190万馬券となった。3連複を購入していれば当然的中していることになるが・・・ちなみに配当は22万5950円だった。

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及川 勉

及川 勉(おいかわ つとむ)は、競馬研究の記者(トラックマン)で、ラジオNIKKEI競馬中継(土曜午後を担当)、中央競馬ワイド中継(独立UHF放送局)のパドック(日曜を担当)に出演している。メインレースの展望では馬の調教解説も勤めている。 「競馬研究」紙面では重賞などで本紙予想を担当。(星野英治と本紙予想を分担している)

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井尻 恵三

井尻 恵三(いじり・けいぞう、1944年9月28日 - )は中央競馬専門紙・競馬ブックの栗東担当トラックマン。京都府出身。

競馬ブックでは主に中京・小倉の第3場開催及び夏季函館・札幌開催を担当。函館・札幌開催では本紙予想も担当し、北海道文化放送「ドラマチック競馬」、三重テレビ放送「日曜競馬リレー中継」の解説者も務めている。また2004年までは、TVQ九州放送の「土曜競馬中継」の解説者も務めていた。

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井崎 脩五郎

井崎 脩五郎(いさき しゅうごろう、1947年7月23日生(本名:布目健二))はホースニュース・馬に所属している競馬評論家兼会社員(株式会社ホースニュース広報部部長)。長野県伊那市出身。 明治大学商学部除籍後、株式会社ホースニュースに入り、競馬専門紙記者となる。父は浪曲奇術師の布目貫一。

フジテレビのスーパー競馬に出演しており独特のデータ予想を駆使して、また持ち前の明るくユニークな性格で人気を博している。
また、本業の競馬予想・評論にとどまらず、TBSテレビ「噂の!東京マガジン」の中吊り評論家など複数の評論家の肩書きで豊富な知識で幅広い分野で活躍している。大学の教養課程時代は北野武と同窓であり平成教育委員会で再会した際には明大をだめにした男だとたけしから指摘されていた。
また同番組では競馬より当たりますねともコメントした。かつてはタキシード姿で出演するのがトレードマークであったが現在はスーツが多い。そのキャラクターから普通とは逆に予想が的中すると苦情が来るとか。

十数年前のスーパー競馬では三十連敗を記録し記念に楠玉が割れる程であったが2005年の宝塚記念では 大穴を一点で的中させるなど鋭い予想も時折展開する。またデータ以外にも馬名や枠連の数字やサインに 関する造詣も深くそれに関する予想も数多く行う。これは大学の先輩にあたる高本公夫の影響だという。但し的中率はデータ予想時以上に落ち込むがそれでも1996年のオークスでは出走直前に放送された噂の!東京マガジンにおいて枠連1-4、1点でいいと言明し森本毅郎に即座にその組み合わせはいりませんねと 言われつつも的中させた。 パソコンゲームウイニングポストに井坂脩三郎というキャラが登場するが容姿や口調が井崎そっくりである。

ちなみに、世界の競馬珍話集(但し自身の創作も多い)や競馬をテーマにした小説も何冊か出版している。

名前の読み方は「いさき」が正しいが、一般的には「いざき」と呼ばれ、本人も時々「いざき」と言ってしまうことがある。


◆出演番組
  ・スーパー競馬(フジテレビ)
  ・噂の!東京マガジン(TBSテレビ)
  ・おしゃべりクイズ疑問の館(NHKラジオ第1・不定期ゲスト)
  ・酔いどれない競馬(フジテレビ739)

◆ かつて出演していた番組
  ・チャレンジ・ザ・競馬(フジテレビ・番組終了)
  ・うまなりクン(フジテレビ・番組終了)※丼崎脩五郎(どんぶりざきしゅうごろう)として予想を担当
  ・あしたのG(フジテレビ・番組終了)
  ・梶原しげるの本気でDONDON(文化放送・番組終了)
  ・井崎脩五郎の一番人気(JFN・番組終了)

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馬主

馬主(うまぬし、ばぬし)とは、競走馬を所有している人。中央競馬・地方競馬、両方に競走馬を所有している馬主も少なからず存在する。

競走馬がレースで5着以内に入れば、賞金を獲得するが、その賞金の10%が調教師、騎乗した騎手と厩務員に5%ずつがそれぞれ進上金として配分され、残りの80%が馬主の収入となる。
また、所有する馬が競走に勝ったときの表彰式で口取りができたり、一口馬主を除いて競馬場の馬主席に入ることが出来るなどの権利がある。また、自ら所有することを目的として競走馬の生産を行う生産者のことを「オーナーブリーダー」という。


◆中央競馬における馬主

☆登録審査基準☆

 ・登録ができない者~禁錮以上の刑に処せられた者と成年被後見人、被保佐人、
  破産者で復権を得てない者等は、
  競馬法施行規則の規定により馬主の登録をすることはできない。
 ・個人~年間所得が2年連続1800万円以上で資産が9000万円以上
 ・法人~法人については資本金1000万円以上で代表者が50%以上出資、
  法人代表者については年間所得が2年連続1800万円以上で資産が9000万円以上
 ・軽種馬生産個人~年間所得が2年連続1100万円以上、牧場規模15ha以上
  (自己所有7.5ha以上)、自己所有繁殖牝馬6頭以上、北海道以外の地区は牧場規模要件は半減
 ・軽種馬生産法人~代表者の年間所得が2年連続1100万円以上、牧場規模15ha以上
  (自己所有7.5ha以上)、自己所有繁殖牝馬6頭以上、
  法人の資本金1000万円以上で代表者が50%以上出資、過去2年黒字決算、
  北海道以外の地区は牧場規模要件は半減
 ・組合~組合員各々の年間所得が1000万円以上(軽種馬生産者は750万円以上)、
  組合名義の定期預金が1000万円以上、
  3名以上10人以下の組合で組合員の中に個人馬主・法人馬主・他の組合員を含めない、
  各組合員の出資比率は10%以上50%未満、最も高い比率を持つ組合員が組合代表となる
(これらの要件はあくまで目安で、これら以外の要件もある)

☆共有☆

2人以上10人以下、個人と法人が混在してもよい。共有持分は1人5%以上で1%単位。 最も高い比率を持つ馬主が共有代表馬主となる。

組合はそれ自体が共有であるため、個人・法人・他の組合員とは共有できない。

☆勝負服☆

馬主毎に設定される。共有馬は共有代表馬主のものを使用する。

☆馬主登録数☆

中央競馬における馬主登録数は2004年末の時点で約2400(個人は約2100、法人は約300、組合は約20)。1991年には3000を超える登録数があったがその後の景気の低迷とともに減少傾向にある。


◆地方競馬における馬主

☆登録審査基準☆

 ・登録ができない者~禁錮以上の刑に処せられた者と成年被後見人、被保佐人、
  破産者で復権を得てない者等は、
  競馬法施行規則の規定により馬主の登録をすることはできない。
 ・個人~年間所得が500万円以上
 ・法人~法人代表者については年間所得が500万円以上、法人への出資金額が300万円以上
 ・組合~組合員各々の年間所得が300万円以上、組合名義の定期預金が300万円以上
(これらの要件はあくまで目安で、これら以外の要件もある)

☆共有☆

2人以上20人以下、個人と法人が混在してもよい。共有持分は1人5%以上で1%単位。 最も高い比率を持つ馬主が共有代表馬主となる。

組合はそれ自体が共有であるため、個人・法人・他の組合員とは共有できない。

☆勝負服☆

地方競馬では騎手毎に設定されため、統一グレード競走やホッカイドウ競馬の一部競走を除き馬主の勝負服は存在しない。

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騎手

騎手(きしゅ)とは、馬を操縦する人のことである。

競馬の場合では、平地競走や障害競走では馬の背に騎乗するが、ばんえい競走や繋駕競走ではそりや馬車の上に乗り操縦する。また騎手は自分の体重を含めて指定された斤量で騎乗することが求められる。

また落馬した場合には、落馬した地点に戻って再騎乗をしなければ、決勝線に到達しても正規の到達とはみなされない。そのため再騎乗をあきらめて競走中止となる場合が多い。

なお英語で騎手を表すジョッキー(jockey)は、ジャックやジョンの蔑称であるジョックに由来する。ジョックは後にジョッキーと訛り、単に競馬好きや馬好きを表すようになった。かつてイギリスの競馬施行体であったジョッキークラブも元々は競馬愛好家の集まりである。現在のような意味になったのは、騎手や調教師、馬主が分業されるようになった19世紀以降のことで、古い英語が残るオセアニア諸国等ではライダーと呼ばれることが多い。繋駕速歩競走ではドライバーと呼ぶ。


◆日本での免許制

日本では騎手になるためには騎手免許が必要で、中央競馬・地方競馬と別々の免許である。

中央競馬では日本中央競馬会が、地方競馬では地方競馬全国協会がそれぞれ発行しており、有効期限は1年間で、続けて騎乗する場合には1年毎に更新のために試験を受ける必要がある。なお調教師免許等と同時に取得することはできない。

また障害競走が行われる中央競馬では平地競走と障害競走とで別の免許となっている。

☆短期騎手免許☆

指定競走、交流競走、特別指定交流競走で騎手免許がない競走に騎乗する場合には、試験なく「その競走に限定した騎手免許」が交付される。外国の競馬で騎乗している騎手に対しては、日本の調教師・馬主を引受人として臨時に行われる試験に合格した上で、1ヶ月単位の短期免許を1年の間に3ヶ月間まで交付する。詳しくは短期免許の項目に譲る。

☆ダブル免許制と安藤勝己騎手☆

2003年2月までは中央競馬・地方競馬の両方の免許を持つ騎手は存在しなかったが、2003年2月当時、笠松競馬所属であった安藤勝己騎手が中央競馬の免許試験に合格し、同時に地方競馬の騎手免許の取消願を提出した。

この時、地方競馬全国協会はダブル免許を容認し、中央競馬の免許の取得による免許の取消には応じなかった為、2003年3月1日から安藤勝己騎手は中央競馬と地方競馬の両方の免許を所有することとなった。この時点で日本中央競馬会は、地方競馬の免許で騎乗した場合には中央競馬の免許を取り消すとしていた。

更に、安藤勝己騎手が地方競馬の交流競走に騎乗した時には、地方競馬全国協会はすでに免許があるとして、短期免許は交付しなかった。従って日本中央競馬会は特例として認めざるを得ない状況になり、特例を適用した。

2003年6月16日に地方競馬全国協会は安藤勝己騎手の地方競馬での騎手免許を取り消した。

☆調騎分離☆

現在、中央競馬及び地方競馬では騎手免許と調教師免許を同時に持つことはできない。つまり、調教師が自分の管理する競走馬に乗ってレースに出走することはできないわけである。

これは当然のことと思われがちであるが、1930年代以前は「調教師兼騎手」は珍しい存在ではなかった。大久保房松などは、管理馬に騎乗して日本ダービー制覇を達成している(1933年、カブトヤマ)。

調教師と騎手の業務が厳格に分離されるようになったのは1938年、日本競馬会が「職制分割、調騎分離」のスローガンの下、兼業を禁止して以降である。


◆騎手の養成

平地競走の騎手は50数キロ(日本の場合、最も軽いケースで48キロ)での騎乗が求められることから、体重に関しては人一倍神経を必要とし、なおかつ馬に騎乗し、その操縦を行うという高度な技術が必要である。 従って、一般の素人を騎手にすることは至極困難なことであり、よって養成が必要なスポーツである。

☆養成機関☆

中央競馬では1982年、騎手養成機関として競馬学校が設立され、騎手課程が設けられた。養成期間は3年間。それ以前は騎手候補生が騎手講習会(長期講習と短期講習とがあった)を受けた後、騎手免許試験を受験する制度が採用されていた。

競馬学校の受験資格は、年齢は中学卒業から20歳まで、体重は育ち盛りの年頃であるため、入所時に44キロ以下。

地方競馬では地方競馬教養センターがある。ここでは2年間の長期課程と6ヶ月の短期課程が設けられている。短期課程は主に競馬場での厩務員や調教助手などの経歴者、並びに海外の騎手免許を取得しレースに出走した騎手を対象としたものである。

どちらの機関でも、卒業前に騎手免許試験を受験し、騎手免許を取得させた上で、晴れて騎手となる。騎手免許が取得できない場合もあり、この場合に騎手になるためには再度試験を受ける必要がある。騎手免許の取得は中央競馬では3月1日、地方競馬は4月1日を基点としている。


◆騎手の所属

調教師を頂点とする厩舎制度において、騎手は厩舎に所属し、調教師からさまざまな指導を受ける。

主催者側の養成機関ができる以前は、騎手を志すものは文字通り調教師に弟子入りし、厩舎の雑務をこなしながら技術を習得するという徒弟制度的な制度が採用されていた。そのため師弟関係の精神的な結びつきは非常に強く、騎手となりキャリアを積んだ後も出身厩舎への帰属意識が強かった。また調教師も門下生に管理馬を優先的に乗せるケースが多かった。

現在では競馬学校、地方競馬教養センターともに最終学年で実際の競馬の厩舎に所属し、調教などの技術指導を受けるカリキュラムがある。騎手免許を取得すると、主に最終学年で指導を受けた厩舎に所属して騎手の生活をスタートさせる。これは特に中央競馬についていえることであるが、その関係は師弟関係というよりもむしろ調教師が騎手の身元引受人になるという意味合いが強く、精神的な結びつきが希薄である場合も多い。騎手は一定の期間が経過すると所属厩舎を離れフリー騎手としてひとり立ちすることが多く、また、厩舎が所属騎手に優先的に騎乗を依頼することも以前より少なくなっている。

☆フリー騎手☆

中央競馬では厩舎に所属しない騎手が多数いる。このような騎手をフリー騎手と呼ぶ。以前は実績のある騎手が所属厩舎と疎遠になったり、所属厩舎が解散したことを契機としてフリー騎手になるケースが多かったが、最近では一定期間を経過した若手騎手が実績に関係なくフリー騎手になるケースも多い。逆にフリーでやっていた騎手が厩舎とのつながりが生まれて厩舎に所属することもある。

地方競馬ではフリーの騎手では認められておらず、必ず厩舎に所属する。期間限定騎乗騎手、短期免許でも同様である。内田利雄騎手が地方競馬初のフリー騎手と言われることがあるが、それは一定の競馬場に長期間所属しないという意味であって、それぞれの競馬場では厩舎に所属している。


◆騎手の収入

騎手の収入は主に以下の二つに分けられる。

 ・競走に騎乗することで得られる収入
 ・厩舎の手伝いをすることによって得られる収入

競走に騎乗した際には、主に以下の二つが騎手の収入となる。

 ・賞金を得た場合には、その賞金の数%(日本の平地では5%、障害は7%)
 ・騎乗手当

従って、賞金の多い競走に勝利するほど収入は多くなる。

厩舎の手伝いとは、調教時の騎乗がメインであるが、厩舎に所属している場合には厩舎の一員として、その他の厩舎の雑務一般も行う(競走馬の餌付け・寝藁の交換など)。厩舎の一員として仕事をする以上、厩務員などと同様、毎月厩舎より給料をもらう。ちなみに競馬学校に在籍する騎手候補生は必ずどこかの厩舎所属になることが義務付けられており、騎手としてデビューする際も厩舎所属からのデビューとなる。


◆騎乗依頼

騎手は競走に騎乗しなければ始まらない。調教中心の騎手もいるが、騎手の最も大きな収入源は賞金からの上納金である。

騎乗依頼は主に以下のように決められることが多い。

 ・馬主と騎手の関係
 ・調教師と騎手の関係

所属している騎手は当然として、同じ厩舎で働いたという関係で兄弟子、弟弟子等などのつながりがある。

 ・成績上位の騎手
 ・当日、空いている騎手

この辺が複雑に絡みあって競走への騎乗が決まる。中でも同じ騎手に何度か続けて騎乗してもらう場合、主戦騎手と呼ぶ。

☆エージェント(騎乗依頼仲介者)☆

中央競馬においては、騎手のエージェント(代理人)を介在した騎乗依頼も行われている。エージェントは、多くの場合競馬新聞の記者やスポーツ新聞の競馬担当記者が務める。記者の中には複数の騎手のエージェントを兼ねる者もいる。エージェント制度について、中央競馬の主催者であるJRAは長らくその存在を公式に認めていなかったが、2006年4月に「騎乗依頼仲介者」という名称で存在を公認。同時にJRAへの届出を業務を行うための要件とした。


◆騎手に対する制裁

レース前あるいはレース中の騎乗に際し、騎乗した馬を制御できなかった(御法不良<<みのりふりょう>>)ためにレースに支障を来したり他の競走馬の進路を妨害するなどした場合、あるいは負担重量がレース前後の検量で発表していた斤量と異なっていた場合、その他スポーツマンシップに欠ける騎乗や言動(無断欠勤、競馬施設内での暴力行為なども含まれる)を行った場合などは、競馬法施行規定第126条・第1項の規定で制裁を受けることがある。

制裁はその内容によって過怠金(いわゆる罰金)が科せられる。審議により降着以上になるような悪質な場合には一定期間の騎乗停止(中央競馬の場合、馬の癖による斜行の場合は2日間、その他明らかに騎手の判断ミスなどによる場合は一般的には4日間~6日間までだが悪質な場合それ以上の期間に延長される場合あり)を受けることになる(降着処分にならなくても騎乗停止処分を受けることはある)(また当該の競走馬に対しても再調教をして調教検査に合格するまで出走停止の措置が執られる場合がある)。

またこれらの制裁はポイントにも置き換えられ、30点をオーバーすると競馬学校やトレーニングセンターで騎乗技術などの再教育を受けることが義務付けられている。具体的には

 ・パトロールビデオを活用した技術指導
 ・競馬施行規程に関するテスト
 ・精神訓話
 ・基本乗馬技術の再教育
 ・性格テストの結果による精神面の指導
 ・特別講義

といった内容のカリキュラムが、制裁事由、制裁歴、技術の程度、年齢などを勘案した上で実施される。

騎乗停止の制裁は、中央競馬・地方競馬相互間および外国との競馬相互でも適用される、騎手交流競走などで騎乗停止処分を受けた場合、それに準じて騎手の所属競馬団体でも騎乗停止の処分を受けることになる。


◆バレット

バレットとは、レース開催時において騎乗時に使用する道具の準備・斤量の調節など騎手のために雑務をこなす存在である。バレットは競馬場内では青いビブスを身に付けている。

中央競馬においては、バレットは法的には騎手個人に雇用されるという形態をとっており、JRAはほとんど関与していない。そのためバレットには男女経歴問わず無資格でなることができる。バレットはその騎手の身内(兄弟姉妹)や友人など親しい間柄にある者を雇用している場合が多い。当然のことではあるが、就労中に得た情報の漏洩や勝馬投票券の購入は禁止されている。

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厩務員

厩務員(きゅうむいん)とは、広くはウマの世話をする人のこと。

とくに競馬においては厩舎に所属し、厩舎が管理する競走馬の身の回りの世話を行う者をいう。具体的な仕事は、体温や食欲のチェックなど、競走馬の健康管理が主である。かつては馬丁、別当などと呼ばれた。

中央競馬の厩務員になるためには競馬学校で半年間の厩務員過程を履修しなければならない。その後、厩舎から声がかかりその厩舎に雇われるというのが一般的である。


◆持ち乗り制度

なお、中央競馬においては調教(専用の馬場で人が競走馬に跨って運動をさせること)は本来調教助手や騎手が行う仕事であるが、厩務員であっても資格を取得すれば行うことができる。調教を行うことができる厩務員のことを調教厩務員、あるいは持ち乗り厩務員という。

厩務員が1~2頭の担当競走馬をもち、厩務作業と調教とをあわせて行う制度を持ち乗り制度という。この制度のメリットとしては、

1、調教を行うことの出来る人数が増えるため、厩舎全体で一定時間内に行うことのできる調教の量が増加する。当然、競走馬の運動量も増える。
2、厩務員が調教助手や騎手のスケジュールに合わせることなく自らの裁量で厩務員作業と調教の2つの作業を行うことができるため、合理的な競走馬の管理が可能になる

といったことが挙げられる。一方デメリットとしては、

1、厩務員の労働量が増える。
2、持ち乗り厩務員が優遇される結果、一般の厩務員が疎外され、労働条件の悪化を招く。
といったことが挙げられる。

関西(栗東トレーニングセンター)では1980年代に持ち乗り制度が導入されたが、関東(美浦トレーニングセンター)では労働組合の反発が強く導入が遅れ、また導入後も1厩舎4人までという制限が設けられた。1980年代を境にして関西の厩舎所属の競走馬が関東の厩舎所属の競走馬を成績面で圧倒するようになった(西高東低現象)のは、持ち乗り厩務員を巡る制度の違いによって競走馬の運動量に大きな差がついたためとされる。(なお関東ではその後、持ち乗り厩務員の人数制限は維持しつつ、人数制限のない、厩務作業を行うことのできる調教助手(持ち乗り調教助手)の制度を導入することでこの問題の解決を試みている)

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競馬評論家

競馬評論家(けいばひょうろんか)は、競馬に関する評論活動を業とする者のことである。日本においては、主にトラックマンや文化人、芸能人、引退したホースマンなどが競馬に関する言論活動を行う中で競馬評論家として認識されていくことが多い。

日本においてはメディアによって競馬のギャンブルとしての側面が強調される傾向が強く、ギャンブルから切り離された競馬評論は稀である。競馬評論家を名乗る者がスポーツ新聞やテレビ・ラジオなどにおいて予想行為を行うことも多い。

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トラックマン

トラックマンは、競馬新聞の記者、およびスポーツ新聞の競馬担当記者の総称である。

トラックマンの主な仕事は、競走馬に関する情報を収集し、収集した情報および自らの予想を競馬新聞やスポーツ新聞の競馬欄において読者に伝えることにある。

具体的にはトレーニングセンターや競馬場において行われる調教をみて競走馬の体調を確認(このとき、調教コースにおける競走馬の走破タイムを計時する者をウォッチマンという。)し、さらに競走馬の関係者(おもに調教師、騎手、調教助手、厩務員。ときには馬主や競走馬の生産者も含まれる)に取材をする。また、レース終了後にもレースに出走した競走馬の関係者への取材を行う。

予想については、出走馬が確定する時点で予想の概要を決定し、枠順が発表されるレース前日に週末の天気予報や主催者による枠順発表を踏まえて微調整を行い、最終的な予想を決定する。

トラックマンの中には競馬評論家としての仕事を行う者もいる。

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安田伊左衛門

安田伊左衛門(やすだ・いさえもん、1872年7月28日- 1958年5月18日)は日本の陸軍軍人、衆議院議員、貴族院議員、日本競馬会理事長、日本中央競馬会理事長。位階勲等は正七位勲四等。「日本競馬の父」「日本ダービーの生みの親」と呼ばれる。

陸軍騎兵大尉として中央馬廠戸山厩舎長であった1904年、競馬会設立の議に加わる。1908年に馬券の発売が禁止されると、馬券発売を合法化すべく旧競馬法の制定に奔走した。

1936年の競馬倶楽部統合、日本競馬会創設に関与。同会初代理事長松平頼寿の退任を受け、第2代理事長を勤めた。在任中は、日本競馬のレベルアップにを図るべくさまざまな改革に着手。イギリスを範としてレースの体系を整備し、日本ダービー(東京優駿大競走)をはじめとするクラシックレース五大競走の原形を作った。

1954年に日本中央競馬会が設立されると、同郷の大野伴睦の要請を受け、初代理事長に就任した。翌1955年に理事長の地位を有馬頼寧に譲り、同会顧問となった。

1951年に安田の業績を称え「安田賞」が誕生。1958年に安田が死去した後、同レースは安田記念と改称され、現在は春季の芝マイル部門チャンピオン決定戦として開催されている。


◆略歴

1872年(明治5年)7月28日 - 岐阜県海津郡東江村(現海津市)に生まれる。
2歳のころから馬を見て育ち、9歳で乗馬をはじめた。14歳のときに地元桑名の祭礼競馬で落馬し腕と足に大怪我をする。

1893年(明治26年) - 東京帝国大学農科大学卒業。在学中の講師は酒匂常明(後の農商務局長)。大学時代から陸軍乗馬学校に通っていた。卒業して実家に帰ったときの土産は馬3頭。
1893年(明治26年) - 陸軍騎兵第3連隊に志願。師団長の桂太郎中将と知己になる。
1895年(明治28年) - 陸軍騎兵少尉に任命される。志願兵の中では出世頭。
1895年(明治28年) - 陸軍を除隊。正八位叙任。故郷に帰り実家の農業に従事。
1897年(明治30年) - 岐阜県海津郡の郡会議員と参事会員に当選。
1898年(明治31年) - 三上定子と結婚。安田は結納返しにも馬を所望し、三上家の面々をあきれさせた(定子の兄・景忠は、馬が用意できないため太刀を贈った)。定子との間には後に二男四女を儲ける。
1899年(明治32年) - 尾張土管株式会社社長に就任。
1900年(明治33年) - 任陸軍騎兵中尉。
1901年(明治34年) - 株式会社第七十六銀行取締役に就任。
1901年(明治34年) - 株式会社全国肥料取次所取締役に就任。社長は加納久宜子爵(後の東京競馬倶楽部理事)。
1901年(明治34年) - 木曽川の大改修工事に伴う地元農村の収容に反対して訴訟を起こし勝訴。私財をもって耕地整理事業を行う。
1904年(明治37年) - 日露戦争開戦のため召集。陸軍騎兵第3連隊補充中隊に編入。
1904年(明治37年) - 留守第3師団馬匹購買委員に任命される。従七位に昇叙。
1904年(明治37年) - 留守第3師団軍法会議判士に任命される。
1905年(明治38年) - 中央馬廠戸山厩舎長に任命される。上司は大蔵平三陸軍中将(軍馬補充部長)。
1905年(明治38年) - 大蔵平蔵陸軍中将より東京競馬会設立に加わるよう依頼を受ける。
1905年(明治38年) - 任陸軍騎兵大尉、正七位に昇叙。
1906年(明治39年) - 召集解除、勲六等単光旭日章受章。
1906年(明治39年) - 社団法人東京競馬会設立。理事に就任。
1910年(明治43年) - 東京競馬倶楽部設立。理事に就任。
1912年(明治45年) - 衆議院議員に当選。
1913年(大正2年) - 東京競馬倶楽部副会長に就任。
1914年(大正3年) - 病のため東京競馬倶楽部理事を辞任。
1915年(大正4年) - 衆議院議員に当選。競馬法案成立に尽力。
1915年(大正4年) - 東京競馬倶楽部常務理事に就任。
1916年(大正5年) - 勲四等瑞宝章受章。
1921年(大正10年) - 社団法人帝国競馬協会設立。理事長に就任。
1923年(大正12年) - 東京競馬倶楽部副会長兼常務理事に就任。
1924年(大正13年) - 農商務省馬政委員会委員に任命。
1926年(大正15年) - 東京競馬倶楽部会長兼常務理事に就任。帝国競馬協会理事長辞任。
1927年(昭和2年) - 帝国競馬協会理事長に再選も後に辞任。同顧問に就任。東京競馬倶楽部会長辞任。同相談役に就任。
1928年(昭和3年) - 東京競馬倶楽部名誉会員に推薦。競馬の功労に対し日本レースクラブより銀杯、帝国競馬協会より胸像が贈られる。
1930年(昭和5年) - 東京競馬倶楽部名誉会長に推薦。
1931年(昭和6年) - 帝国馬匹協会顧問に就任。
1932年(昭和7年) - 東京優駿大競走(日本ダービー)を創設。
1936年(昭和11年) - 日本競馬会設立に伴い、設立委員、副理事長に就任。
1938年(昭和13年) - 日本競馬会理事長に就任。
1943年(昭和18年) - 日本競馬会理事長に再選。
1946年(昭和21年) - 貴族院議員に勅選。
1948年(昭和23年) - 日本競馬会理事長任期満了につき退任。顧問となる。
1954年(昭和29年) - 日本中央競馬会発足。会長に就任。
1958年(昭和33年) - 86歳にて死去。

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獣医師

獣医師(じゅういし、Veterinarian)は動物の医師。 獣医師になるためには、獣医学系大学を卒業して農林水産省が実施する獣医師国家試験に合格し、獣医師免許を取得しなければならない。

獣医師でない者が「獣医師」の名称を用いるのは勿論だが、「動物医」・「家畜医」・「ペット医」等の紛らわしい名称も用いてはならない(業務独占資格)。

獣医師法では、動物の診療や保健衛生指導などを通して、

動物の保健衛生
畜産業の発展
公衆衛生の向上
に寄与すること、が使命とされている。

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装蹄師

装蹄師(そうていし)とは、競走馬や牛の蹄に蹄鉄を打つ技術者のことである。

資格もあり、装蹄師になるには社団法人日本装蹄師会の「装蹄師認定講習会」を受講し、最後に認定試験を合格しなければならない。

作業としては大まかに分けると蹄鉄の作成/馬や牛への打付け、削蹄である。 簡単な作業と思う人も多いが、人間同様馬も蹄の厚い/薄いがあるため技術を要する。 蹄を削ることによって四肢のバランスを整え、ごく軽度の屈腱炎の治療等も行える。

もちろんその逆もあり、削蹄が悪いと脚元に負担がかかり屈腱炎を発症ということもある。

競馬に関しては裏方的な存在ではあるがその役割はとても重要である。

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飯田 正美

飯田 正美(いいだ まさみ、1951年 - )は日刊競馬に所属する編集記者。山口県出身、早稲田大学卒。

1976年に日刊競馬新聞社に入社。現在は同紙の本紙予想を担当している。同紙の本紙予想担当者として最長のキャリアを誇っている。

土曜日の中央競馬ハイライト(独立UHF放送局)に出演し、参考レースを解説、日曜日のメインレースの推奨馬を取り上げている。いわゆる本命党で、予想はたいてい上位人気の馬を推す。そのため、同じ本命党で同番組出演者でもある星野英治とは、推奨馬だけでなく予想印まで重なることが多い。

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阿部 幸太郎

阿部 幸太郎(あべ こうたろう)は競馬評論家。2005年現在は夕刊フジに在籍。通称アベコー。

2002年以前はホースニュース・馬の記者として、井崎脩五郎と並ぶ同紙の看板予想家として活躍。また中央競馬ワイド中継(独立UHF放送局)の日曜日に出演し、中でも「アベコーの穴等専科」が大人気だった。

夕刊フジに移籍してからはBSフジの競馬大王にも出演し、「アベコーの万券予報」も人気を博した。

中央競馬の全レースを完全中継している、CS放送「グリーンチャンネル」2006年1月のリニューアルから、G1レースの行われる日曜日に、『中央競馬中継EAST』(後半)のゲストコメンテーターとして出演している。

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繋駕速歩競走

繋駕速歩競走(けいがそくほきょうそう)は競馬のレースの一種である。トロットレースともいわれる。

これは騎手が競走馬の後にある繋駕車(馬車)に乗ってレースをするもので、4本の脚(肢)のうちの2本以上地面についていないと失格となる、いわば競歩レースの競馬版的な要素をもっている(実際には中央競馬の場合、3回もしくは30m以上キャンターで馬を走らせた場合に失格になった)。その他平地競走との違いは騎手がドライバーと呼ばれることや、サラブレッドではなくスタンダードブレッドを初めとしたトロッターが競走馬として使用されること、発祥が古代の戦車競走に由来すること等である。

日本ではかつて兵庫県にあった鳴尾速歩競馬会でそれ専門のレースを開催した事例があった他、日本競馬会→国営競馬とその流れを汲む現在の日本中央競馬会でも、1968年12月の中京競馬場での開催までレースが行われた。その後も1971年までレースが行われていたが、同年6月に盛岡競馬場でレースが行われたのを最後に廃止され、それ以後日本国内での馬券発売を伴うレースは行われていない。(競馬法施行令第5条および17条の4により中央・地方競馬とも法令上は施行できる。ただしアトラクション等でレースが行われた例はある)

海外ではヨーロッパや北米、オーストラリアの各国で頻繁に行われている。特にフランスやイタリア、北欧諸国では、日本で一般的に行われている平地競走よりも繋駕速歩競走の方が盛んである。もちろん繋駕速歩競走を題材としたゲームも多数有り、優秀なスタンダードブレッドを生産して世界を舞台に戦う事ができる。

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屈腱炎

屈腱炎(くっけんえん)は馬の脚部で発生する病気のひとつである。

上腕骨と中節骨をつなぐ腱である屈腱(大きく外側の浅屈腱(せんくっけん)と内側の深屈腱(しんくっけん)の2つからなる)の腱繊維が一部断裂し、その部分から発熱を起こす。この状態を屈腱炎と呼ぶ。前肢に起こる場合が多く、また深屈腱より浅屈腱に発症例が多い。 詳しい原因はまだ不明であるが、継続的・反復的な運動負荷によって起こると推定されている。これを発症してしまうと治癒するまで数ヶ月から最悪の場合数年間もかかってしまう上、一度断裂した部分は完全にもとの強度に戻ることはほぼなく、トレーニングや競走への出走を再開した場合に再発する可能性も高い。競走能力にも影響がある。「不治の病」ないしは「競走馬のガン」とまでいわれている恐ろしい病気である(ただし直接的に生命に影響することはない)。また、屈腱炎を発症して腫れあがった脚部の外観が海老によく似ていることから、競馬関係者の間で「エビバラ」と呼ばれる。

屈腱炎を発症した競走馬は、仮に治癒しても再発の可能性が高いことと、長期離脱後に再び競走に参戦しても既に実践勘が鈍ってしまっており、それ以降良い成績を残せない場合も多いことから、競走馬を引退し種牡馬や繁殖牝馬に転向する事例が多い。

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