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馬主

馬主(うまぬし、ばぬし)とは、競走馬を所有している人。中央競馬・地方競馬、両方に競走馬を所有している馬主も少なからず存在する。

競走馬がレースで5着以内に入れば、賞金を獲得するが、その賞金の10%が調教師、騎乗した騎手と厩務員に5%ずつがそれぞれ進上金として配分され、残りの80%が馬主の収入となる。
また、所有する馬が競走に勝ったときの表彰式で口取りができたり、一口馬主を除いて競馬場の馬主席に入ることが出来るなどの権利がある。また、自ら所有することを目的として競走馬の生産を行う生産者のことを「オーナーブリーダー」という。


◆中央競馬における馬主

☆登録審査基準☆

 ・登録ができない者~禁錮以上の刑に処せられた者と成年被後見人、被保佐人、
  破産者で復権を得てない者等は、
  競馬法施行規則の規定により馬主の登録をすることはできない。
 ・個人~年間所得が2年連続1800万円以上で資産が9000万円以上
 ・法人~法人については資本金1000万円以上で代表者が50%以上出資、
  法人代表者については年間所得が2年連続1800万円以上で資産が9000万円以上
 ・軽種馬生産個人~年間所得が2年連続1100万円以上、牧場規模15ha以上
  (自己所有7.5ha以上)、自己所有繁殖牝馬6頭以上、北海道以外の地区は牧場規模要件は半減
 ・軽種馬生産法人~代表者の年間所得が2年連続1100万円以上、牧場規模15ha以上
  (自己所有7.5ha以上)、自己所有繁殖牝馬6頭以上、
  法人の資本金1000万円以上で代表者が50%以上出資、過去2年黒字決算、
  北海道以外の地区は牧場規模要件は半減
 ・組合~組合員各々の年間所得が1000万円以上(軽種馬生産者は750万円以上)、
  組合名義の定期預金が1000万円以上、
  3名以上10人以下の組合で組合員の中に個人馬主・法人馬主・他の組合員を含めない、
  各組合員の出資比率は10%以上50%未満、最も高い比率を持つ組合員が組合代表となる
(これらの要件はあくまで目安で、これら以外の要件もある)

☆共有☆

2人以上10人以下、個人と法人が混在してもよい。共有持分は1人5%以上で1%単位。 最も高い比率を持つ馬主が共有代表馬主となる。

組合はそれ自体が共有であるため、個人・法人・他の組合員とは共有できない。

☆勝負服☆

馬主毎に設定される。共有馬は共有代表馬主のものを使用する。

☆馬主登録数☆

中央競馬における馬主登録数は2004年末の時点で約2400(個人は約2100、法人は約300、組合は約20)。1991年には3000を超える登録数があったがその後の景気の低迷とともに減少傾向にある。


◆地方競馬における馬主

☆登録審査基準☆

 ・登録ができない者~禁錮以上の刑に処せられた者と成年被後見人、被保佐人、
  破産者で復権を得てない者等は、
  競馬法施行規則の規定により馬主の登録をすることはできない。
 ・個人~年間所得が500万円以上
 ・法人~法人代表者については年間所得が500万円以上、法人への出資金額が300万円以上
 ・組合~組合員各々の年間所得が300万円以上、組合名義の定期預金が300万円以上
(これらの要件はあくまで目安で、これら以外の要件もある)

☆共有☆

2人以上20人以下、個人と法人が混在してもよい。共有持分は1人5%以上で1%単位。 最も高い比率を持つ馬主が共有代表馬主となる。

組合はそれ自体が共有であるため、個人・法人・他の組合員とは共有できない。

☆勝負服☆

地方競馬では騎手毎に設定されため、統一グレード競走やホッカイドウ競馬の一部競走を除き馬主の勝負服は存在しない。

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2006年11月08日 トラックバック(-) コメント(-)

騎手

騎手(きしゅ)とは、馬を操縦する人のことである。

競馬の場合では、平地競走や障害競走では馬の背に騎乗するが、ばんえい競走や繋駕競走ではそりや馬車の上に乗り操縦する。また騎手は自分の体重を含めて指定された斤量で騎乗することが求められる。

また落馬した場合には、落馬した地点に戻って再騎乗をしなければ、決勝線に到達しても正規の到達とはみなされない。そのため再騎乗をあきらめて競走中止となる場合が多い。

なお英語で騎手を表すジョッキー(jockey)は、ジャックやジョンの蔑称であるジョックに由来する。ジョックは後にジョッキーと訛り、単に競馬好きや馬好きを表すようになった。かつてイギリスの競馬施行体であったジョッキークラブも元々は競馬愛好家の集まりである。現在のような意味になったのは、騎手や調教師、馬主が分業されるようになった19世紀以降のことで、古い英語が残るオセアニア諸国等ではライダーと呼ばれることが多い。繋駕速歩競走ではドライバーと呼ぶ。


◆日本での免許制

日本では騎手になるためには騎手免許が必要で、中央競馬・地方競馬と別々の免許である。

中央競馬では日本中央競馬会が、地方競馬では地方競馬全国協会がそれぞれ発行しており、有効期限は1年間で、続けて騎乗する場合には1年毎に更新のために試験を受ける必要がある。なお調教師免許等と同時に取得することはできない。

また障害競走が行われる中央競馬では平地競走と障害競走とで別の免許となっている。

☆短期騎手免許☆

指定競走、交流競走、特別指定交流競走で騎手免許がない競走に騎乗する場合には、試験なく「その競走に限定した騎手免許」が交付される。外国の競馬で騎乗している騎手に対しては、日本の調教師・馬主を引受人として臨時に行われる試験に合格した上で、1ヶ月単位の短期免許を1年の間に3ヶ月間まで交付する。詳しくは短期免許の項目に譲る。

☆ダブル免許制と安藤勝己騎手☆

2003年2月までは中央競馬・地方競馬の両方の免許を持つ騎手は存在しなかったが、2003年2月当時、笠松競馬所属であった安藤勝己騎手が中央競馬の免許試験に合格し、同時に地方競馬の騎手免許の取消願を提出した。

この時、地方競馬全国協会はダブル免許を容認し、中央競馬の免許の取得による免許の取消には応じなかった為、2003年3月1日から安藤勝己騎手は中央競馬と地方競馬の両方の免許を所有することとなった。この時点で日本中央競馬会は、地方競馬の免許で騎乗した場合には中央競馬の免許を取り消すとしていた。

更に、安藤勝己騎手が地方競馬の交流競走に騎乗した時には、地方競馬全国協会はすでに免許があるとして、短期免許は交付しなかった。従って日本中央競馬会は特例として認めざるを得ない状況になり、特例を適用した。

2003年6月16日に地方競馬全国協会は安藤勝己騎手の地方競馬での騎手免許を取り消した。

☆調騎分離☆

現在、中央競馬及び地方競馬では騎手免許と調教師免許を同時に持つことはできない。つまり、調教師が自分の管理する競走馬に乗ってレースに出走することはできないわけである。

これは当然のことと思われがちであるが、1930年代以前は「調教師兼騎手」は珍しい存在ではなかった。大久保房松などは、管理馬に騎乗して日本ダービー制覇を達成している(1933年、カブトヤマ)。

調教師と騎手の業務が厳格に分離されるようになったのは1938年、日本競馬会が「職制分割、調騎分離」のスローガンの下、兼業を禁止して以降である。


◆騎手の養成

平地競走の騎手は50数キロ(日本の場合、最も軽いケースで48キロ)での騎乗が求められることから、体重に関しては人一倍神経を必要とし、なおかつ馬に騎乗し、その操縦を行うという高度な技術が必要である。 従って、一般の素人を騎手にすることは至極困難なことであり、よって養成が必要なスポーツである。

☆養成機関☆

中央競馬では1982年、騎手養成機関として競馬学校が設立され、騎手課程が設けられた。養成期間は3年間。それ以前は騎手候補生が騎手講習会(長期講習と短期講習とがあった)を受けた後、騎手免許試験を受験する制度が採用されていた。

競馬学校の受験資格は、年齢は中学卒業から20歳まで、体重は育ち盛りの年頃であるため、入所時に44キロ以下。

地方競馬では地方競馬教養センターがある。ここでは2年間の長期課程と6ヶ月の短期課程が設けられている。短期課程は主に競馬場での厩務員や調教助手などの経歴者、並びに海外の騎手免許を取得しレースに出走した騎手を対象としたものである。

どちらの機関でも、卒業前に騎手免許試験を受験し、騎手免許を取得させた上で、晴れて騎手となる。騎手免許が取得できない場合もあり、この場合に騎手になるためには再度試験を受ける必要がある。騎手免許の取得は中央競馬では3月1日、地方競馬は4月1日を基点としている。


◆騎手の所属

調教師を頂点とする厩舎制度において、騎手は厩舎に所属し、調教師からさまざまな指導を受ける。

主催者側の養成機関ができる以前は、騎手を志すものは文字通り調教師に弟子入りし、厩舎の雑務をこなしながら技術を習得するという徒弟制度的な制度が採用されていた。そのため師弟関係の精神的な結びつきは非常に強く、騎手となりキャリアを積んだ後も出身厩舎への帰属意識が強かった。また調教師も門下生に管理馬を優先的に乗せるケースが多かった。

現在では競馬学校、地方競馬教養センターともに最終学年で実際の競馬の厩舎に所属し、調教などの技術指導を受けるカリキュラムがある。騎手免許を取得すると、主に最終学年で指導を受けた厩舎に所属して騎手の生活をスタートさせる。これは特に中央競馬についていえることであるが、その関係は師弟関係というよりもむしろ調教師が騎手の身元引受人になるという意味合いが強く、精神的な結びつきが希薄である場合も多い。騎手は一定の期間が経過すると所属厩舎を離れフリー騎手としてひとり立ちすることが多く、また、厩舎が所属騎手に優先的に騎乗を依頼することも以前より少なくなっている。

☆フリー騎手☆

中央競馬では厩舎に所属しない騎手が多数いる。このような騎手をフリー騎手と呼ぶ。以前は実績のある騎手が所属厩舎と疎遠になったり、所属厩舎が解散したことを契機としてフリー騎手になるケースが多かったが、最近では一定期間を経過した若手騎手が実績に関係なくフリー騎手になるケースも多い。逆にフリーでやっていた騎手が厩舎とのつながりが生まれて厩舎に所属することもある。

地方競馬ではフリーの騎手では認められておらず、必ず厩舎に所属する。期間限定騎乗騎手、短期免許でも同様である。内田利雄騎手が地方競馬初のフリー騎手と言われることがあるが、それは一定の競馬場に長期間所属しないという意味であって、それぞれの競馬場では厩舎に所属している。


◆騎手の収入

騎手の収入は主に以下の二つに分けられる。

 ・競走に騎乗することで得られる収入
 ・厩舎の手伝いをすることによって得られる収入

競走に騎乗した際には、主に以下の二つが騎手の収入となる。

 ・賞金を得た場合には、その賞金の数%(日本の平地では5%、障害は7%)
 ・騎乗手当

従って、賞金の多い競走に勝利するほど収入は多くなる。

厩舎の手伝いとは、調教時の騎乗がメインであるが、厩舎に所属している場合には厩舎の一員として、その他の厩舎の雑務一般も行う(競走馬の餌付け・寝藁の交換など)。厩舎の一員として仕事をする以上、厩務員などと同様、毎月厩舎より給料をもらう。ちなみに競馬学校に在籍する騎手候補生は必ずどこかの厩舎所属になることが義務付けられており、騎手としてデビューする際も厩舎所属からのデビューとなる。


◆騎乗依頼

騎手は競走に騎乗しなければ始まらない。調教中心の騎手もいるが、騎手の最も大きな収入源は賞金からの上納金である。

騎乗依頼は主に以下のように決められることが多い。

 ・馬主と騎手の関係
 ・調教師と騎手の関係

所属している騎手は当然として、同じ厩舎で働いたという関係で兄弟子、弟弟子等などのつながりがある。

 ・成績上位の騎手
 ・当日、空いている騎手

この辺が複雑に絡みあって競走への騎乗が決まる。中でも同じ騎手に何度か続けて騎乗してもらう場合、主戦騎手と呼ぶ。

☆エージェント(騎乗依頼仲介者)☆

中央競馬においては、騎手のエージェント(代理人)を介在した騎乗依頼も行われている。エージェントは、多くの場合競馬新聞の記者やスポーツ新聞の競馬担当記者が務める。記者の中には複数の騎手のエージェントを兼ねる者もいる。エージェント制度について、中央競馬の主催者であるJRAは長らくその存在を公式に認めていなかったが、2006年4月に「騎乗依頼仲介者」という名称で存在を公認。同時にJRAへの届出を業務を行うための要件とした。


◆騎手に対する制裁

レース前あるいはレース中の騎乗に際し、騎乗した馬を制御できなかった(御法不良<<みのりふりょう>>)ためにレースに支障を来したり他の競走馬の進路を妨害するなどした場合、あるいは負担重量がレース前後の検量で発表していた斤量と異なっていた場合、その他スポーツマンシップに欠ける騎乗や言動(無断欠勤、競馬施設内での暴力行為なども含まれる)を行った場合などは、競馬法施行規定第126条・第1項の規定で制裁を受けることがある。

制裁はその内容によって過怠金(いわゆる罰金)が科せられる。審議により降着以上になるような悪質な場合には一定期間の騎乗停止(中央競馬の場合、馬の癖による斜行の場合は2日間、その他明らかに騎手の判断ミスなどによる場合は一般的には4日間~6日間までだが悪質な場合それ以上の期間に延長される場合あり)を受けることになる(降着処分にならなくても騎乗停止処分を受けることはある)(また当該の競走馬に対しても再調教をして調教検査に合格するまで出走停止の措置が執られる場合がある)。

またこれらの制裁はポイントにも置き換えられ、30点をオーバーすると競馬学校やトレーニングセンターで騎乗技術などの再教育を受けることが義務付けられている。具体的には

 ・パトロールビデオを活用した技術指導
 ・競馬施行規程に関するテスト
 ・精神訓話
 ・基本乗馬技術の再教育
 ・性格テストの結果による精神面の指導
 ・特別講義

といった内容のカリキュラムが、制裁事由、制裁歴、技術の程度、年齢などを勘案した上で実施される。

騎乗停止の制裁は、中央競馬・地方競馬相互間および外国との競馬相互でも適用される、騎手交流競走などで騎乗停止処分を受けた場合、それに準じて騎手の所属競馬団体でも騎乗停止の処分を受けることになる。


◆バレット

バレットとは、レース開催時において騎乗時に使用する道具の準備・斤量の調節など騎手のために雑務をこなす存在である。バレットは競馬場内では青いビブスを身に付けている。

中央競馬においては、バレットは法的には騎手個人に雇用されるという形態をとっており、JRAはほとんど関与していない。そのためバレットには男女経歴問わず無資格でなることができる。バレットはその騎手の身内(兄弟姉妹)や友人など親しい間柄にある者を雇用している場合が多い。当然のことではあるが、就労中に得た情報の漏洩や勝馬投票券の購入は禁止されている。

2006年11月08日 トラックバック(-) コメント(-)

厩務員

厩務員(きゅうむいん)とは、広くはウマの世話をする人のこと。

とくに競馬においては厩舎に所属し、厩舎が管理する競走馬の身の回りの世話を行う者をいう。具体的な仕事は、体温や食欲のチェックなど、競走馬の健康管理が主である。かつては馬丁、別当などと呼ばれた。

中央競馬の厩務員になるためには競馬学校で半年間の厩務員過程を履修しなければならない。その後、厩舎から声がかかりその厩舎に雇われるというのが一般的である。


◆持ち乗り制度

なお、中央競馬においては調教(専用の馬場で人が競走馬に跨って運動をさせること)は本来調教助手や騎手が行う仕事であるが、厩務員であっても資格を取得すれば行うことができる。調教を行うことができる厩務員のことを調教厩務員、あるいは持ち乗り厩務員という。

厩務員が1~2頭の担当競走馬をもち、厩務作業と調教とをあわせて行う制度を持ち乗り制度という。この制度のメリットとしては、

1、調教を行うことの出来る人数が増えるため、厩舎全体で一定時間内に行うことのできる調教の量が増加する。当然、競走馬の運動量も増える。
2、厩務員が調教助手や騎手のスケジュールに合わせることなく自らの裁量で厩務員作業と調教の2つの作業を行うことができるため、合理的な競走馬の管理が可能になる

といったことが挙げられる。一方デメリットとしては、

1、厩務員の労働量が増える。
2、持ち乗り厩務員が優遇される結果、一般の厩務員が疎外され、労働条件の悪化を招く。
といったことが挙げられる。

関西(栗東トレーニングセンター)では1980年代に持ち乗り制度が導入されたが、関東(美浦トレーニングセンター)では労働組合の反発が強く導入が遅れ、また導入後も1厩舎4人までという制限が設けられた。1980年代を境にして関西の厩舎所属の競走馬が関東の厩舎所属の競走馬を成績面で圧倒するようになった(西高東低現象)のは、持ち乗り厩務員を巡る制度の違いによって競走馬の運動量に大きな差がついたためとされる。(なお関東ではその後、持ち乗り厩務員の人数制限は維持しつつ、人数制限のない、厩務作業を行うことのできる調教助手(持ち乗り調教助手)の制度を導入することでこの問題の解決を試みている)

2006年11月08日 トラックバック(-) コメント(-)

競馬評論家

競馬評論家(けいばひょうろんか)は、競馬に関する評論活動を業とする者のことである。日本においては、主にトラックマンや文化人、芸能人、引退したホースマンなどが競馬に関する言論活動を行う中で競馬評論家として認識されていくことが多い。

日本においてはメディアによって競馬のギャンブルとしての側面が強調される傾向が強く、ギャンブルから切り離された競馬評論は稀である。競馬評論家を名乗る者がスポーツ新聞やテレビ・ラジオなどにおいて予想行為を行うことも多い。

2006年11月08日 トラックバック(-) コメント(-)

トラックマン

トラックマンは、競馬新聞の記者、およびスポーツ新聞の競馬担当記者の総称である。

トラックマンの主な仕事は、競走馬に関する情報を収集し、収集した情報および自らの予想を競馬新聞やスポーツ新聞の競馬欄において読者に伝えることにある。

具体的にはトレーニングセンターや競馬場において行われる調教をみて競走馬の体調を確認(このとき、調教コースにおける競走馬の走破タイムを計時する者をウォッチマンという。)し、さらに競走馬の関係者(おもに調教師、騎手、調教助手、厩務員。ときには馬主や競走馬の生産者も含まれる)に取材をする。また、レース終了後にもレースに出走した競走馬の関係者への取材を行う。

予想については、出走馬が確定する時点で予想の概要を決定し、枠順が発表されるレース前日に週末の天気予報や主催者による枠順発表を踏まえて微調整を行い、最終的な予想を決定する。

トラックマンの中には競馬評論家としての仕事を行う者もいる。

2006年11月08日 トラックバック(-) コメント(-)

安田伊左衛門

安田伊左衛門(やすだ・いさえもん、1872年7月28日- 1958年5月18日)は日本の陸軍軍人、衆議院議員、貴族院議員、日本競馬会理事長、日本中央競馬会理事長。位階勲等は正七位勲四等。「日本競馬の父」「日本ダービーの生みの親」と呼ばれる。

陸軍騎兵大尉として中央馬廠戸山厩舎長であった1904年、競馬会設立の議に加わる。1908年に馬券の発売が禁止されると、馬券発売を合法化すべく旧競馬法の制定に奔走した。

1936年の競馬倶楽部統合、日本競馬会創設に関与。同会初代理事長松平頼寿の退任を受け、第2代理事長を勤めた。在任中は、日本競馬のレベルアップにを図るべくさまざまな改革に着手。イギリスを範としてレースの体系を整備し、日本ダービー(東京優駿大競走)をはじめとするクラシックレース五大競走の原形を作った。

1954年に日本中央競馬会が設立されると、同郷の大野伴睦の要請を受け、初代理事長に就任した。翌1955年に理事長の地位を有馬頼寧に譲り、同会顧問となった。

1951年に安田の業績を称え「安田賞」が誕生。1958年に安田が死去した後、同レースは安田記念と改称され、現在は春季の芝マイル部門チャンピオン決定戦として開催されている。


◆略歴

1872年(明治5年)7月28日 - 岐阜県海津郡東江村(現海津市)に生まれる。
2歳のころから馬を見て育ち、9歳で乗馬をはじめた。14歳のときに地元桑名の祭礼競馬で落馬し腕と足に大怪我をする。

1893年(明治26年) - 東京帝国大学農科大学卒業。在学中の講師は酒匂常明(後の農商務局長)。大学時代から陸軍乗馬学校に通っていた。卒業して実家に帰ったときの土産は馬3頭。
1893年(明治26年) - 陸軍騎兵第3連隊に志願。師団長の桂太郎中将と知己になる。
1895年(明治28年) - 陸軍騎兵少尉に任命される。志願兵の中では出世頭。
1895年(明治28年) - 陸軍を除隊。正八位叙任。故郷に帰り実家の農業に従事。
1897年(明治30年) - 岐阜県海津郡の郡会議員と参事会員に当選。
1898年(明治31年) - 三上定子と結婚。安田は結納返しにも馬を所望し、三上家の面々をあきれさせた(定子の兄・景忠は、馬が用意できないため太刀を贈った)。定子との間には後に二男四女を儲ける。
1899年(明治32年) - 尾張土管株式会社社長に就任。
1900年(明治33年) - 任陸軍騎兵中尉。
1901年(明治34年) - 株式会社第七十六銀行取締役に就任。
1901年(明治34年) - 株式会社全国肥料取次所取締役に就任。社長は加納久宜子爵(後の東京競馬倶楽部理事)。
1901年(明治34年) - 木曽川の大改修工事に伴う地元農村の収容に反対して訴訟を起こし勝訴。私財をもって耕地整理事業を行う。
1904年(明治37年) - 日露戦争開戦のため召集。陸軍騎兵第3連隊補充中隊に編入。
1904年(明治37年) - 留守第3師団馬匹購買委員に任命される。従七位に昇叙。
1904年(明治37年) - 留守第3師団軍法会議判士に任命される。
1905年(明治38年) - 中央馬廠戸山厩舎長に任命される。上司は大蔵平三陸軍中将(軍馬補充部長)。
1905年(明治38年) - 大蔵平蔵陸軍中将より東京競馬会設立に加わるよう依頼を受ける。
1905年(明治38年) - 任陸軍騎兵大尉、正七位に昇叙。
1906年(明治39年) - 召集解除、勲六等単光旭日章受章。
1906年(明治39年) - 社団法人東京競馬会設立。理事に就任。
1910年(明治43年) - 東京競馬倶楽部設立。理事に就任。
1912年(明治45年) - 衆議院議員に当選。
1913年(大正2年) - 東京競馬倶楽部副会長に就任。
1914年(大正3年) - 病のため東京競馬倶楽部理事を辞任。
1915年(大正4年) - 衆議院議員に当選。競馬法案成立に尽力。
1915年(大正4年) - 東京競馬倶楽部常務理事に就任。
1916年(大正5年) - 勲四等瑞宝章受章。
1921年(大正10年) - 社団法人帝国競馬協会設立。理事長に就任。
1923年(大正12年) - 東京競馬倶楽部副会長兼常務理事に就任。
1924年(大正13年) - 農商務省馬政委員会委員に任命。
1926年(大正15年) - 東京競馬倶楽部会長兼常務理事に就任。帝国競馬協会理事長辞任。
1927年(昭和2年) - 帝国競馬協会理事長に再選も後に辞任。同顧問に就任。東京競馬倶楽部会長辞任。同相談役に就任。
1928年(昭和3年) - 東京競馬倶楽部名誉会員に推薦。競馬の功労に対し日本レースクラブより銀杯、帝国競馬協会より胸像が贈られる。
1930年(昭和5年) - 東京競馬倶楽部名誉会長に推薦。
1931年(昭和6年) - 帝国馬匹協会顧問に就任。
1932年(昭和7年) - 東京優駿大競走(日本ダービー)を創設。
1936年(昭和11年) - 日本競馬会設立に伴い、設立委員、副理事長に就任。
1938年(昭和13年) - 日本競馬会理事長に就任。
1943年(昭和18年) - 日本競馬会理事長に再選。
1946年(昭和21年) - 貴族院議員に勅選。
1948年(昭和23年) - 日本競馬会理事長任期満了につき退任。顧問となる。
1954年(昭和29年) - 日本中央競馬会発足。会長に就任。
1958年(昭和33年) - 86歳にて死去。

2006年11月08日 トラックバック(-) コメント(-)

獣医師

獣医師(じゅういし、Veterinarian)は動物の医師。 獣医師になるためには、獣医学系大学を卒業して農林水産省が実施する獣医師国家試験に合格し、獣医師免許を取得しなければならない。

獣医師でない者が「獣医師」の名称を用いるのは勿論だが、「動物医」・「家畜医」・「ペット医」等の紛らわしい名称も用いてはならない(業務独占資格)。

獣医師法では、動物の診療や保健衛生指導などを通して、

動物の保健衛生
畜産業の発展
公衆衛生の向上
に寄与すること、が使命とされている。

2006年11月08日 トラックバック(-) コメント(-)

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